2023~2024年(通期)ユングの東洋思想論を読む
【開催概要】
2023年度のユングスタディ企画は「ユングの東洋思想論を読む」です。ユングが東洋思想について論じた様々な文章を取り上げて読んでいきます。
ユングの東洋思想に関する論考は、欧米の人々にとって長らく、東洋思想を受け入れる上での重要な導きでした。現代の研究水準から見れば、その内容に問題を感ずる部分が多々あるとしても、そこには今でも読まれるべき重要な観点が含まれています。
また、ユングにとっても東洋思想研究は、重要な意味を持っています。フロイトとの決別後、ユングは自身の経験から得た、無意識に関わる様々な体験や知見を、どう位置付けてよいものか理解できずにいました。この時、中国学者ヴィルヘルムの送ってきた東洋のマンダラ図や瞑想のテキストの中に、自分の体験してきたものと共通のものを見出します。そのことが自身の経験をまとめ上げる機会になります。また一方で、世界中に見られる自然的象徴への関心が開かれ、自らの精神的基盤たる西洋のシンボルの歴史的研究にも繋がっていきました。後期の大きな研究テーマとなる共時性の概念も、そのアイデアは『易経』から得たものでした。
ユングの東洋思想研究がなければ、錬金術研究、キリスト教研究、共時性理論などのユング後期の業績は、そもそも存在しなかったかもしれません。ユングは単なる一精神科医として名を残すにとどまり、私たちの知っているようなユングはいなかったでしょう。今期スタディにおいては、そうしたユング思想のあり方をも読み解いていければと思います。
■ 開催日:原則として、毎月第一木曜日(1、8月は休止) 20:00〜22:00
■ 開催方法:オンライン開催(zoomミーティングルーム形式)
■ 案内役:白田信重、岩田明子(ユング心理学研究会)
■ 司会進行:海野裕美子(ユング心理学研究会) 資料協力:山口正男
■ 主催:ユング心理学研究会 http://jung2012.jimdo.com/
■ 問い合わせ:研究会事務局 jungtokyo_info@yahoo.co.jp
■ テキスト: C.G.ユング「ヨーロッパの読者への注解」
(ヴィルヘルム共著『黄金の華の秘密』、
湯浅泰雄・定方昭夫訳、人文書院、1980.3 所収)
・ 適宜、英語原文、ドイツ語訳文も参照します。
・ テキストを読んでいない方でも、資料を見ながらの進行なので参加可能です。
・ シリーズ途中からでの参加でも全く問題ありません。お気軽にご参加ください。
【実施記録】
第1回:2月2日(木)20:00 〜 22:00 (開場19:45) 開催概要
第2回:3月2日(木)20:00 〜 22:00 (開場19:45) 開催概要
第3回:4月6日(木)20:00 〜 22:00 (開場19:45) 開催概要
第4回:5月11日(木)20:00 〜 22:00 (開場19:45) 開催概要
第5回:6月1日(木)20:00 〜 22:00 (開場19:45) 開催概要
第6回:7月6(木)20:00 〜 22:00 (開場19:45) 開催概要
第7回:9月7(木)20:00 〜 22:00 (開場19:45) 開催概要
第8回:10月5日(木)20:00 〜 22:00 (開場19:45) 開催概要
第9回:11月2日(木)20:00 〜 22:00 (開場19:45) 開催概要
第10回:12月7日(木)20:00 〜 22:00 (開場19:45) 開催概要
第11回:2月1日(木)19:30 〜 21:30 (開場19:15) 開催概要
第12回:3月7日(木)19:30 〜 21:30 (開場19:15) 開催概要
【要約解説】
2月2日【第1回】
今回シリーズの最初に取り上げるテキストは、中国学者ヴィルヘルムが独訳した道教の瞑想書「太乙金華宗旨」に、ユングが寄せた心理学的観点からの注解です。
■ C.G.ユング「ヨーロッパの読者への注解」他
(ヴィルヘルム共著『黄金の華の秘密』、湯浅泰雄・定方昭夫訳、人文書院、1980.3 所収)
リヒアルト・ヴィルヘルム Richard Willhelm (1873-1930) は、ドイツの中国学者です。プロテスタント教会の宣教師として20年あまり中国で暮らす間、儒教と道教を学び、帰国後はドイツに中国研究所を創設します。
ユングとは1920年、カイザーリング伯「叡智の学徒」にて出会い、1922 年にはユング主催のチューリッヒ心理学クラブにて易についての講義をします。1929年、「太乙金華宗旨」を訳し、ユングによる注解を付けて出版しました。1930年3月1日に57才で亡くなり、同年5月10日にはユングが追悼講演「リヒアルト・ヴィルヘルムを記念して」を行います。この追悼公演は、1931年の英訳初版から『黄金の華の秘密』に付け加えられます。
ユングは、1913年のフロイトとの決別後、方向を喪失するなかで自身の内に沈潜し、「赤の書」に描かれたような無意識のイメージ体験をしていきます。これは後のユングの理論の礎となっていきますが、当時のユングはその体験をどう位置付けてよいものか理解できずにいました。しかし、1928年にヴィルヘルムの送ってきた道教の瞑想の書「太乙金華宗旨」の独訳テキストが、その状況の突破口となります。
ユングはそのテキストの中に、自分のイメージ体験と共通のものを見出したことで、自身の体験を普遍的な過程として整理し提示していくことができました。同時に、世界中に見られる自然的象徴へのユングの関心が開かれ、後期ユングに見られる様々なシンボルの歴史的研究に繋がっていきます。この辺りの状況を伺えるのが、ユングによる『黄金の華の秘密』第二版序文でした。
続けて、ユングによる1930年のヴィルヘルム追悼講演を読み進めました。ここでは、以下の三点が主要なテーマとなっています。
(1)研究者としてのヴィルヘルム
ユングはヴィルヘルムとは、「学問上の境界を越えた人間という土地」での出会いがあったとします。「女性的特性をも帯びた受容的で多産な精神性」を持ったヴィルヘルムは、西洋人としての枠を超えて中国文化に対する全的な理解をし、東洋の正確なイメージを西洋人にもたらしてくれた、とユングは故人を讃えます。
(2)ヴィルヘルム『易経』翻訳と、易教の理解としての共時性
ユングは、ヴィルヘルム最高の業績として『易経』の翻訳を挙げます。そしてユングは『易経』の中に、西洋の科学的・因果的発想とは異なる「共時律に基づく科学」があると指摘します。実はこの追悼講演こそが、ユングが公の場で共時性概念について触れた、最初の機会になります。
もっとも、この時点のユングにおいて、共時性概念はまだアイデアのレベルにすぎません。共時性の概念が理論として形を成すのは、これより後、ノーベル賞物理学者パウリとの共同作業を通してになります。ヴィルヘルムが亡くなった翌年の1931年、まるで入れ替わるかのように、パウリが治療を受けにユングのもとを訪れてきます。
(3)ヴィルヘルムの死について
ユングにとってヴィルヘルムの死は、東洋的伝統を無限定に受け入れた西洋人における、精神的な揺り戻しの危機とその悲劇的結末として受け止められました。これを通してユングは、「西洋人は東洋の智慧をそのまま受け入れるのではなく、それを参考にして、あくまでも自らの状況に依って立ちつつ自己実現することが重要」と考えるようになります。このことが、ユングが西洋人の精神的基盤であると位置付けている、キリスト教や錬金術のシンボルについての後期研究に向かわせます。
つまるところ、ユングにとってヴィルヘルムとの出会いは、ユング中期の大きな導きであり、ユング後期の仕事の方向性を決定づける重要な出来事であった、と言えるでしょう。ユングの東洋思想研究がなければ、ユングの後期研究は形にならず、錬金術研究もキリスト教研究も共時性理論もなかった。私たちの知っているようなユングは存在しなかったかもしれません。
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画像の右はヴィルヘルムのポートレイトで、新田義之『リヒアルト・ヴィルヘルム伝』(筑摩書房、1994.12)から。左はユングの描いたマンダラ図のひとつで、ユング『赤の書』(河合俊雄監訳、創元社、2010.6)からです。このマンダラ図は、邦訳『黄金の華の秘密』新装版の表紙に使われています。
このマンダラ図の下にある、ユングによる書き込みは次の通りです。「1928年に私がこの堅牢な黄金の城を絵に描いたとき、フランクフルトにいたリヒアルト・ヴィルヘルムが、中国の黄色い城に関する数千年来の古いテキストを送ってくれたのだが、それは不死の肉体の萌芽に関するものであった。〔ラテン語〕カトリックとプロテスタントの両教会は秘密に包まれている。一つの世紀の終焉。」(上記邦訳『赤の書』より引用)
またユングは、亡くなる二年前となる1959年、「赤の書」の最後に以下のような書き込みをします。「私はこの本に16 年間にわたって取り組んだ。1930年に錬金術と出会ったことが、私をこの本から遠ざけた。終わりの訪れは1928年にやって来た。そのときヴィルヘルムが、錬金術的な性格の小冊子『黄金の華』のテキストを私に送ってくれたのである。その本の内容に現実への道筋を見出し、私はもはやこの本に再び取り組むことができなくなった。…」(同邦訳)
ユング自身の内的探求に向かっていたエネルギーが、『黄金の華』のテキストという外的対象を得たことで、一気に現実に向かって方向転換したことを示す一文です。この転換の先に、様々な自然発生的象徴を扱うユングの後期研究があります。
3月2日【第2回】
第1回に引き続き、今回も「ヨーロッパの読者への注解」をテキストに取り上げます。まずは注解の本文の「序論」を読み進めました。
序論の前半は「1. ヨーロッパ人が東洋を理解することは、なぜむつかしいのか」と題されており、西洋人と東洋人のものの捉え方や心理的条件の違いについて述べられます。
ユングは、西洋人の科学的態度に対し、東洋の「生命を通じての理解」を対比させます。人間のたましいにおいては、女性的なもの・暗いもの・大地的なもの(陰)が、暗い情動性と本能をともないつつ精神に対抗しており、中国におけるものの捉え方はこの基盤を前提とした逆説性と二元対立性を保っています。
しかし現代の西洋人においては、精神は昂揚してこうした基盤から離れてしまっています。この一面性は、科学の極度の発展のような衝撃的な力を発揮する一方で、ある種の野蛮でもあり、神経症はじめ様々な社会的問題としても現れてきます。
こうした状況の中で、知性主義の優越への反撥作用が起きてくるわけですが、ここで東洋に対する西洋的人間の典型的な誤りとして、科学を軽蔑して背を向け、東洋的なものを文字通りに受け入れて模倣し、西洋精神の基盤から離れてしまうことが挙げられます。大事なことは、東洋的理念が持つ実践的重要性を受け止めつつ、ヨーロッパ人がみずからの流儀と本質に従ってそれをさらに発展させることなのだ、とユングは強調します。
続いて、序論の後半「2. 現代心理学が理解を可能にする」では、ユングの精神科医としての実際的経験が、この中国の瞑想テキストの理解を助けることになったと述べられます。中国のテキストの内容と、ユングの患者たちの心の発展の過程とには様々に対応するものがありますが、これにはユングが「集合的無意識」と呼ぶ、人類共通の心的構造から発する類似性・同一性が関係しています。
しかし一方では、西洋人と中国人との心の構えの違いが現実的な問題となります。中国人においては、人格の対立する要素がもともと近接しあっていますが、現代の西洋人においては、意識が異常に昂揚して、無意識から大きく離れてしまっています。そのため中国的瞑想をそのまま西洋人に適用すると、意識は無意識に対して一層つよめられ、避けなくてはならない作用を逆にひき起してしまう、とユングは指摘します。ここではまず、抑圧している無意識的要素を意識が受け止められるような「訓練」をする必要があることになります。
また、無意識の力が優勢になった神経症患者や、人生の半ばより前の年齢の人(自我の確立と現実への適応が重要な課題になっている時期の人)に対しても、中国的瞑想は誤りであり有害だとユングは言います。これは自我意識の立場が損なわれることを危険視しているのだと思われますが、いずれにしても適用が適切かどうかの「見立て」が重要です。
ユングは医師として、西洋の文化的達成が過度に強調され、意識の立場が一面的に誇張されたことに伴う、無意識の陰的反作用の結果として生ずる様々な障害の治療にあたっていました。無意識の力が意識された価値に対して反逆し、意識がそれを同化できなくなると、人格の統一を必要とする状態にまで至ります。この人格の統一こそが、東洋的瞑想が意図しているところになります。
さらに続けてユングは、彼の臨床経験から得た、人間の成長のあり方について述べていきます。人生の最大にして最も重要な問題というものは、あらゆる自己調節的システムには必ず内在する二元対立性を表現したものであって、根本的には解決することができません。そうした問題は、ただ成長することによってのみ越えてしまうことができるものです。ユングはこれを「過大成長 Überzeugung, outgrowing」と名づけます。より高くより広い何かの関心事が視界の中に入ってきて、地平が拡大されたため、解決できなかった問題がその緊急性を失ってしまうという、ある種の意識水準の上昇のことです。
成長していった人びとの発達過程においては、暗い領域から近づいてきた新しいものを受けいれることで成長してゆくことが観察されます。その新しいものとは、意識の期待にこたえるようなものでもなければ、本能とも矛盾するものであるのに、全人格のきわめて適切な表現となっている「象徴」です。
その際に彼らはただ、物事が生じてくるままにしておいた(いわゆる「無為」)だけなのですが、これこそが「真の技術」であるとユングは言います。通常、意識というのは常に介入しようとするもので、魂の過程が単純に生成してくるのをそのままにしておくことができないからです。
心の動きを観察する際に、意識の活動は脇へ押しやっておく。これが西洋人にまず必要な「訓練」であって、意識の緊張がすっかりゆるみ、あるがままに空想を生じさせることができるまで長く続けなくてはなりません。このような放置によって、非合理なものや不可解なものであっても、それは現に生じているものであるという理由で受けいれるという、新しい心構えがつくられます。
この本質的態度の転換とともに、それまで保持していた以前の価値が捨て去らないで留めておかれるならば、彼の人格は拡大し、高みに引上がって豊かになる。これこそがユングの理解するところの「道」の体験なのです。
(以前の『分析心理学セミナー』スタディに参加されていた方であれば、実はこの「訓練」の過程は、ユングがフロイトと決別した後の方向喪失の際に、ユング自身が自ら試行していた当のことであると気づくでしょう)
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画像左のイラストは、関根伸一郎『アスコーナ 文明からの逃走』(三元社、2002.7)からです。
20世紀はじめに、スイス南端のアスコーナに、いわゆるカウンター・カルチャー的な運動のコロニーができました。文明への嫌悪を示し、自然的なものや東洋的なものに強く関心を持つ人々が集まり、様々な試行をしていました。イラストに描かれたように、エキゾチックな服装で殉教者のように彷徨する人もいました。これはチューリッヒにいたユングにとっては、すぐ目と鼻の先の出来事になります。
ユングが「東洋的なものを文字通りに受け入れて模倣し、西洋精神の基盤から離れてしまう」西洋人のイメージには、このあたりの運動に関わっていた人々の印象があるかもしれません。(もっとも、ユングが中心となった知識人の集まりであるエラノス会議もまた、このアスコーナの地で開催されており、いわばユング自身がこのムーブメントの最後尾に位置する存在でもありました。)
画像右は、ウィリアム・ブレイク「ネブカドネザル」です。旧約聖書ダニエル書によると、バビロニア王ネブカドネザル二世は過剰な自尊心から発狂し、草を食べる雄牛のように生きることになりました。ユングは、「意識の立場が一面的に誇張されたことに伴う、無意識の陰的反作用の結果として生ずる様々な障害」の例として、今回のテキストのみならず、他のテキストでもよくこのネブカドネザル王の伝説を挙げています。現代の西洋人の問題が、旧約聖書の中にすでに表現されていたことになるわけですが、それはこの問題が、普遍性を持つ元型的テーマであるからでしょう。
4月6日【第3回】
テキストは引き続き「ヨーロッパの読者への注解」となります。今回は「基礎概念」の章を読み進めました。ここでは、道教の瞑想書「太乙金華宗旨」ならびに「慧命経」の記述に見られる、「道(タオ)」と「回転運動」の二つの概念について、ユングの解釈が示されます。
「道(タオ)」について、ユングは「道」という漢字における「首」を「意識」、「辶」を「行くこと」と捉えた上で、「道」を「真に意識しつつ行くこと」あるいは「はっきり意識された道」と解します。その上で、「道」とは、分離されている意識〔心、慧〕と生命〔身体、命〕を、意識しつつ統一しようとする方法であり、両者が一緒になってはじめて、真の「意識された生」〔慧命〕が生れて「偉大なる道(タオ)が完成」するとします。意識と生命法則との再統合が「道(タオ)の実現」である、というのがユングの捉え方です。
続いてユングは、対立するものの統合とは「象徴の中に自己自身を表現してゆく心理的発達過程である」とします。無意識から現れるものを意識しつつ受け取っていく中で、自然発生的に産出するイメージが変容していくこと(そしてそれに伴って、情動のあり方や構えの方向付けが変化すること)、それこそが統合であり、人間の成長そのものでもあるわけです。
こうした自然発生的イメージは、深められていく中で、次第に抽象的な形象にまで凝縮し、ユング言うところの「マンダラ象徴」になっていきます。マンダラは形としては「円」、あるいは十字などの「四」という数の要素を持っていて、東洋のみならず西洋にも数多く見られる元型的イメージです。マンダラ象徴は、その意味について見た当人が何かを述べられなくとも、魅惑的、表現力豊かで有効であることが感じられます。
マンダラ象徴には、関心を心の中なる聖域へと引き戻すとともに、外的な影響を防ぐ魔術的作用があります。マンダラ内部の聖域は、対立する意識と生命がともにあって一つになる「根源的な場所」、心の源泉であるとともに到達すべき目標です。ユングは、「太乙金華宗旨」における「黄金の花」とは、このマンダラ象徴のことであると指摘します。
またユングは、書物内にある「回光(光を回転させる)」という観念に関連して、回転運動は聖域を隔離し、固定し集中する作用を持っているとします。回転とは、人格のあらゆる側面がともに活動し始めるとともに、すべての周辺的なものが中心的なものの指揮下におかれる、つまり道(タオ)が活動し始めて主導権を取るようになることを意味します。
この中心的なものこそ、ユングの考える、心全体の中心たる「自己 Selbst」であり、対立するものはこの自己のもとで統合されることになります。意識が自己のもとで活動し始めると、意識だけの独立した活動が抑えられていきますが、これがいわゆる「無為」にあたることになります。
こうした中心的なものの体験を「太乙金華宗旨」は、通常の呼吸が止まって、一種の内的な呼吸がそれに代わるという「呼吸の静止」として強調しています。これは精神的で実体的な個性が、身体的また現象的な人格の内部に生れることであり、超越的段階における人間の再生を示します。ユングは同様の体験の例として、パウロの「内なるキリスト」、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの神体験や19世紀の神秘家エドワード・メートランドの記述における光のヴィジョンを挙げていきます。これは人類に共通する元型的な体験のあり方なのです。
意識的な意志の力で、これらの象徴的統一性を達成することはできません。無意識に語りかけ、原始的類比を含んで「魔術的に」作用してくる象徴というものがなければ、個性化 Individuation は決して達成できないのです。
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今回は、ユングの「道」概念をより掘り下げて検討すべく、『岩波 哲学・思想事典』の「道」の項目なども参照しました。また、関連文献として、ユングが1935年に行った「タヴィストック・レクチャー」(邦訳:ユング『分析心理学』小川捷之訳、みすず書房、1976.2)の中から、ユングが「道」について触れた部分も取り上げました。
上のレクチャー内でユングは、一つのエピソードを紹介します。ユングの友人が中国人留学生に「道とは何か」と尋ねた際、留学生はその友人に、窓の外に見えるものを次々に挙げさせた上で、「それが道なのです」と語りました。(これは「あるがまま」を「道」とする荘子の考え方に近いでしょう)
その上でユングは、その「道」と同じ内容を示す言葉として「共時性 synchronicity」を使います。ユングがその言葉で言わんとすることは、事実を種々の実体に分割する西洋の見方とは異なる、総合的事実をそのものとして受け入れる東洋的なものの見方のことです。例えば、集まっている人々を見て、西洋は「どこからやって来た?なぜ集まっている?」と考えるの対し、東洋は「集まっているのにどんな意味があるのか?」と考える。海岸の波打ち際にあるものを見て、西洋なら「単なる偶然で、ナンセンス」とするところ、中国では「こういうものが集まっているのは、何を意味するのだろう」と尋ねる。この中国の発想方法を体系化したものが「易経」だとユングは考えます。
ここで、ヴィルヘルムが「道」を「意味 Sinn」と独訳したことが重要になってくるでしょう。ユングはのちに、共時性を「意味ある偶然の一致」と定義しますが、この共時性の「意味」なるものと「道」とを、ユングは同一に見ていることになります。
一般的な通念として「意味」とは、人間が客観的事物に恣意的に割り当てるもの、つまり「勝手に事物に意味づけをしていること」と考えられています。しかしユングにおいては、意味はむしろ客観的に実在するものであって、向こう側から強制的に現れてきて私たちを方向づける何ものかです。(この発想の背景には、観念やイメージが強迫的にやってくる統合失調症患者の臨床経験があるのかもしれません)
この世界の根源的なところで、特定の「意味」が活性化すると、この世界の様々なところ(物質的・心的なものの両方)でこれに沿った方向付けがされて、同じ「意味」をもった現象が非因果的かつ同時に現れます。これが人間には「意味ある偶然の一致」として認識される。ユングはこの「意味」の活性化を、世界を則る「道」の現れと同じものと理解しているのでしょう。
ユングは同じセミナーの別の箇所でも、いわゆる太極図を示しながら「道 Tao」について言及します。「道」は、天と地との完全な調和、永遠に対立し続ける正反対な要素の結合、「物事が原初的な状態であると同時に、最も理想的に物事を達成すること」です。(この部分は、どちらかと言えば、「道」を根源的かつ理想的な道理とする老子の考え方に近いでしょう。)「二つの対立する原理を統合する」元型的イメージが、この道の思想の背景にあります。
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画像左の図は、上でも触れた「太極図」です。陰陽の組み合わせと調和・循環が、この図の意味するところになります。全体がマンダラ図形であるとともに、回転運動をも含意していることになります。この太極図は、ユング『分析心理学』掲載の図をもとに作成しましたが、斜め45度に傾いているのが興味深いです。回転することを強調したかったのでしょうか。
画像右は、スーフィズム(イスラム神秘主義)の流れに属する、トルコのメヴレヴィー教団による旋舞です。旋舞者自身が回転するだけでなく、複数の舞手が大きな円形を描いてゆくという、二重のマンダラ構造です。旋舞によって神と一体になるという信仰に基づくものですが、回転運動は上の説明にもある通り、統合の行為であり、内なる神を練り上げることでもあります。ユングは、ダンスによってマンダラが表現される場合があることに言及していますが、この旋舞もその例として考えることができるでしょう。
(なお、写真は以下の公開映像からキャプチャしました)
https://www.youtube.com/watch?v=Du-3BDkiTg0
5月11日【第4回】
テキストは引き続き、道教の瞑想書「太乙金華宗旨」にユングが付けた「ヨーロッパの読者への注解」です。今回は「道(タオ)の諸現象」の章を読み進めました。
この箇所では、無意識から現れてくるイメージを意識していく過程において、実際にどのような心理的危機状況が起きるのかが論じられています。「1 意識の解消」および「2 アニマとアニムス」の二項目が挙げられていますが、両方を通してキータームとなるのが、無意識の「人格化」 Personifikation, personification です。
「意識の解消」は、意識が集合的無意識のイメージと向かい合った時に生ずる危険性について指摘するところから始まります。中国の瞑想テキストは、瞑想の中で個々の分離した想念が形態をとり、それらが自律的に働き始め、意識の統一とコントロールが保てない状態が起きうることを示しています。前回取り上げた円のマンダラ象徴は、こうした危険に対応して意識の集中を維持する機能がある、とユングは言います。
こうした人格分裂の状態は、伝統的には「霊魂の憑依」や「神々の仕業」と見られてきたものですが、現代においても「彼は何ものかに憑かれたように行動した」というような言い回し表現があります。つまるところ、自我意識の統制が失われ、あたかも別の人格に乗っ取られたかのようになる状態のことです。
そもそも分裂の傾向は、もともと人間の心に固有な特質である、とユングは指摘します。意識に同化され得ない無意識的内容は、心の断片的体系(無意識コンプレックス)となり、ある種の別人格であるかのように自律的に作用します。この心的人格の存在を顧慮しないとき、神経症的な障害や、妄想などの「憑依現象」がもたらされます。また内的な人格が、外に実在する特定の人や集団に投影される場合には、それら人物を敵視するような危険な状況が引き起こされたりします。心的人格の存在が、何らかの形で実際に影響を及ぼす、つまり「現実化」してしまうわけです。
こうした危険を避けるためには、まずはそうした自律的な断片的体系が心の中にあることを認め、意識に同化していくことが必要となります。そうすることで、断片的体系の持つ自律性は弱まり、相対的に「非現実化」していくことになります。
続く「アニマとアニムス」の項では、中国における「魂魄(こんぱく)」の概念が、ユング心理学における「アニマ・アニムス」概念と対応して理解されます。アニマ・アニムスとは無意識における異性像のことですが、より普遍的に男性原理・女性原理を意味する場合もあります(この場合には、ロゴス・エロスという表現が当てられることもあります)。
「魂魄」とは、中国における人間の霊魂を意味する言葉です。一般的に、「魂」は人の精神をつかさどり、「魄」は人の肉体をつかさどるとされます。魂は陽、魄は陰に属し、人間が死ぬと両者は分離して、魂は天上に昇って神となり、魄は地上に止まって鬼となるとされます。
ユングは「魂」を、陽の原理・男性的なもの・天上的なもの・アニムス(ロゴス)に相当すると考えます。これと逆に「魄」は、陰の原理・女性的なもの・地上的なもの・アニマ(エロス)に相当するとします。
中国人は、心の中に存在している原理的な対立をはっきり意識していたからこそ、こうした区分けを行なっていました。翻って、無意識のあり方を知らない現代の西洋人は、この対立の存在をまず知るところから始めなければならない、とユングは言います。
無意識と向かい合っていく中では、この陰陽の対立が先鋭化して現れてきます。ユングは臨床経験を通して、この問題が通常は、無意識における異性像との関係として、人格化されドラマ化して経験されていくことを見出していました。当人と反対の性を持つ人物像に「人格化」して現れるアニマ・アニムスを、ユングは「無意識領域への橋渡し」であり「無意識に対する関係の機能」だと定義します。
例えば、私たちが自転車に乗るとき、多くの筋肉の動きをうまく連動して行なっているわけですが、それらは基本的に潜在意識下の処理過程で行われており、私たちの意識のレベルでは「あそこを曲がる」「急停止する」というイメージの操作がこうした一連の過程と結びついています。意識にとっては、イメージが私たちの潜在的過程と連動するインターフェイスになっているわけです。
これと同様に、無意識下にある心の諸過程について、その全てを私たちは知ることはできませんが、しかし無意識から現れてくる人格化されたイメージと「対話」をしていくことで、意識は無意識の様々な過程と結びつきを持ち、それを部分的にでもコントロールすることが可能になります。これが「無意識に対する関係の機能」の意味するところでしょう。
アニマ・アニムスは意識化されていくことで、自律的な人格的特性が弱められ、意識の機能になっていきます。
例えば、感情的側面を抑圧した男性は、普段は理性的で合理的ですが、何かの折に無意識的な情動的側面が現れると、これに巻き込まれて「我を忘れた」「誰かに取り憑かれたかのような」状態になります。しかし、この感情的側面の人格化であるアニマ像と対話をし、それを自分の問題として受け止めていくと、幾分かは自分の感情をコントロールすることが可能になり、強い自律性を持った人格的な現れ方も減じていきます。不得手であった対人関係での感情的側面も、自然と穏やかな方向に変わっていく。つまりは、コントロールできなかった感情が、人格化されずに、意識で扱うことが可能な機能となっていくわけです。
無意識の心的力は、私たちが勝手に人格化して捉えているのではなく、それ自身が自律的な人格的性質を持っている。こうした基本的な事柄を認め、その人格化されたイメージとしっかり向かい合うことで、私たちははじめてそれを非人格化し、無意識の破壊的な力を減じることができる。なんとも逆説的な話です。
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今回は、本題が終わった後の雑談にて話になった内容も、関連事項として紹介します。
人間の意識は、認知心理学者ミラーが「魔法の数字 7±2」と示した通り、いちどきに保有して処理できる事項の数が限られています。多様なものを多様なまま理解するということは、実際のところ人間にはできないわけです。
意識において情報処理をするには、ある種の単純化が必要になります。しかし、あまりに単純化すると、多様な現実を捉え損なってしまう。そこで出てくるのが、全体性の最小表現としての「四」のシンボリズムです。要は、二項対立の軸を二つ組み合わせた四象限でものを考えるというのが、全体のあり方をそこそこ損なわないで理解するための最小限の方法となります。そして、その「四」を、統一的に捉えるような視点や立場の登場が、「一」なる円のシンボリズムで表されることになります。
この「四から一」の過程で捉えきれなかった要素が改めて問題となったり、別の新たな課題が生じてきたりしたとき、また新規に異なった「四から一」の過程を始めることで対応しなければなりません。この「四と一」の繰り返しのダイナミズムが、人間の心理過程の本質にあり、それは「マンダラ象徴」において表現されている。ここはユング思想の本質的な視点ではないかと私は考えます。(ユングの著作では、『アイオーン』がまさにこの問題を正面から扱っています)
アニマ・アニムスという人格化されたイメージも、人間に認知できないような複雑な無意識過程を、人格化することで意識にも扱いやすくしたものだと考えることができます。これは意識にとって不可欠な単純化であるとともに、意識に対するインターフェイスの生成として考えることができるでしょう。
真の現実は全くもって複雑で多様なものであり、限られた人間の意識では、実際のところ完全な理解も到達も不可能です。限られた意識的存在である私たちが、この現実とどう関わっていけばいいのか。そうした大きなテーマがユングの思想の中にあると思います。
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画像左の図は、「太乙金華宗旨」において、瞑想の第四段階を表す図として収められているものです。瞑想する人の頭部にある炎から、五人の霊的身体が分離し、それがまたさらに五人ずつに分かれていく様子が描かれています。ユングはこの図を、分離した想念が形態をとって自律的に働き始めた状態を表現したものとして理解します。こうした状況が続くと、統合失調症的な状態に至る危険があるとユングは言います。
画像右は、テクノユニット The Chemical Brothers による曲「Let Forever Be」の公式MVからのキャプチャです。一人の女性が、複数の女性に分かれて踊り出してゆき、現実性や身体感覚が変容していく様子が描かれていきます。ユングが指摘した、分裂的なイメージ体験をそのまま映像化したかのような印象を受けるところです。もしかしたら、こうしたイメージを実際に経験したことのある人が、制作スタッフの中にいるのかもしれません。
なお、「Let Forever Be」の公式MVは、以下のところで視聴できます。
https://www.youtube.com/watch?v=s5FyfQDO5g0
6月1日【第5回】
今回取り上げたのは、道教の瞑想書「太乙金華宗旨」にユングが付けた「ヨーロッパの読者への注解」の、最後部分となる「対象からの意識の離脱」「完成」「結論」の各章です。これにて本テキストは読了となります。
ここまで、無意識を理解することの重要性とその方法が説明されてきました。無意識の理解がなされていくと、最終的には、いわゆる「完成・解放・悟り」と呼ばれるような特異な意識性へとみちびかれていく、とユングは言います。それは「意識が世界を越えた地点にまで昇った」「空っぽであるとともに充実している」意識の状態です。ユングはこの状態について、心理学的観点から、世界との「神秘的分有」の解消として捉えることができるとします。
「神秘的分有 participation mystique」とは、主体と客体とが部分的に結びつき区別できていない状態のことで、もとはフランスの社会学者レヴィ=ブリュールが、未開社会の原始的心性の特徴として提唱したものです、しかしユングによれば、文化人においても、この無意識性による主体と客体の未分化状態は存在しています。
「神秘的分有」における同一化は、自分内部の心的内容を無意識のうちに客体に投影する心理機制によって成り立ちます。自身の無意識が持っている強制力が、人間や事物や環境などの客体に投影されることで、それら客体が魔術的な影響力を持って自分と結びついてしまうのです。
この投影が、無意識を意識化していくことで解消されると、客体からの影響力は大きく減じて「神秘的分有」状態も解消されます。結果として、客体の豊かさと美しさが保持される一方で、それらが意識を強制的に支配することは無くなる。これが「完成・解放・悟り」の状態に相当することになります。
無意識が顧慮されるようになれば、これに伴い心の中心も、図式的には意識と無意識との間にあるように理解されていきます。ユングは「神秘的分有」の解消を、心の力の中心が自我から、心全体の中心「本来的自己 Selbst, self」へと移動することでもある、とします。この中心は自我にとっては上位の人格に思われるものであって、「私が生きているのでなく、それが私を生きている」と表現される意識体験となります。中国のテキストに著された「黄金の花」、あるいは永遠に朽ちることのない身体(聖胎、金剛体)とは、この本来的自己に相当するものです。
中国の瞑想の最終的な目的は、この「永遠なる上層の人格」を作り上げることであり、それは取りも直さず、人生の後半に始まる、自然な死に対する準備です。ユングは医者として、死が差し迫った患者に対し、このような自己の生命の不死についての信念を確立できるよう努力を払っていると言います。この準備は、自身の本質、自身の無意識を排除することなく、そのまま受け入れる心的態度の転換があってはじめて可能となります。
中国人は、この許容的な態度を通して文化的達成に至りました。しかしヨーロッパ人は、つい千年ほど前に急にキリスト教を受け入れたという歴史があり、その精神的高みを何とか保ってゆくためには、本能の領域を強く抑圧しなければなりませんでした(ユングが「ヨーロッパ人」という呼称を使うとき、ゲルマン系かつプロテスタントである北ヨーロッパ人を念頭に置いていると思われます)。精神と本能の対立という問題は現在までも尾を引いており、故に、ヨーロッパ人は中国のテキストをそのまま受け取るのではなく、無意識を受け入れる姿勢を学ぶところから始めなければなりません。
中国における「黄金の花」に似た心的体験を西洋で探すならば、「人の子としてのキリスト」という象徴が挙げられます。これは、人間的形態をもったより高い精神的存在が、目にはみえないが個々人の内部に生れる体験であり、その新しい身体はわれわれの未来の宿りに使われるべき霊的身体です。
ユングは、ヨーロッパ人はこうした西洋的な基盤の上に立つことによってのみ、東洋の精神を同化することができると言います。心的状態とシンボリズムにおける東西の一致を強調することで、東洋精神の内面的空間に至る通路が開かれる。形而上学的に思われる観念を心理学的観点から捉え直し、我々にとって改めて体験可能なものに換えてゆく。それがユングによる、中国の瞑想テキストへの心理学的注解の目的なのです。
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左の図は、ユングが1925年の「分析心理学セミナー」にて示した図に、私が赤い矢印を描きこんだものです。地の図は、横山博監訳『分析心理学セミナー』(みすず書房、2019.10)からの引用になります。 この赤い矢印が、ユングの言っていた、自我から自己への心の中心の移動に相当します。対立する心的内容がこの自己のもとで統合されるとともに、この中心こそが、死にゆく存在である自我を超えるような、聖なる永遠なるものとして体験されるわけです。
右の図は、ユングの考える人生のイメージを示したものです。ユングは天球における太陽の動きを喩えとしているので、本来なら半円で図を描くべきなのでしょうが、ユングの別のテキスト「魂と死」(1934)では放物線を喩えに使ったりしていますので、ここでは放物線の図にしています。
誕生してからの人生の前半は、環境への適応、自我の確立が人生の課題となります。自我が適応のために頻繁に使う面はよく発達するものの、そこから取り残された部分は未分化のまま無意識に取り残されます。これはいわば、人格の偏りが作られていくことに他なりませんが、しかし人生前半を生きる上では必須な過程です。
しかし、頂点となる部分を超えて人生が後半に入ったとき、死の準備を行う局面に入っていきます。前半で取り残された部分を改めて統合し、自我中心から自己中心へと移行する、いわゆる個性化をしなければならない。中国の瞑想テキストは、この人生後半の局面に関わる智慧を語っていることになります。ユングが、人生前半において中国的瞑想を行うことを「有害だ」とするのは、適用する人生の局面を誤っているからに他なりません。
7月6日【第6回】
今回のスタディでは、『タイプ論』の第5章、第7章を読み進めました。
ユングの主著の一つ『タイプ論』(1921)は、フロイトとの決別(1913)を経たユングが、自身の心理学理論の一通りの完成を成し遂げた著作です。独版および英版のユング全集では第6巻に収録されています。心理学史においては「外向・内向」という性格類型を提唱した性格心理学の古典として位置づけられます。
この大著『タイプ論』には東洋思想に関連する記述も多く見られ、今回はそうした箇所を取り上げました。『タイプ論』の邦訳は複数ありますが、今回テキストとして取り上げたのは、林道義訳『タイプ論』(みすず書房、1987.4)になります。
まず最初に、『タイプ論』第7章の「美学におけるタイプごとの構えの問題」を読み進めました。この章では、ヴォリンガー『抽象と感情移入』(1908)が論じられています。
『抽象と感情移入』は、ドイツの美術史家ヴィルヘルム・ヴォリンガーの代表的著作で、美学における「感情移入」型の古典主義的歴史観に対し、「抽象」衝動を対置させてヨーロッパ中心主義的歴史観の相対化を目指したものです。当時のミュンヘン分離派や表現主義などの作品における幾何学的抽象性を、歴史的・理論的に支えるものとして注目されました。
ヴォリンガーは、芸術や美を感じ取り鑑賞する方法には二つの対立する基本形態があり、それは「感情移入」と「抽象」である、とします。西洋の伝統的な芸術衝動は「感情移入」であり、感情移入できるものだけが美しいとされます。人間と外界との間の信頼関係を前提とし、主観的な内容の投影によって、主体が客体において自らを感じるようなあり方になります。
しかしこれとは別に、生命に反するような美の形式である「抽象」があり、もっぱら東洋的あるいは異国的な芸術衝動に相当します。抽象は外界への不安を前提とし、外界から撤退することで客体の影響から自らを守ろうと努めるべく、抽象的な形式を作り上げます。
ユングはこの二つの対立する基本形態について、心理学的には、感情移入が外向、抽象が内向に相当すると述べます。主体の関心と心的エネルギーが、外界の客体に向けられていることが「外向」、外界の客体ではなく主体や内的イメージに向けられていることが「内向」です。
ユングの様々な東洋思想論の基盤には、「基本的に西洋の心理的構えは外向的、東洋のそれは内向的」という見方が存在しています。東洋的方法をそのまま西洋人に適用することをユングが戒めるのは、前提となるこの構えの違いの存在を無視してはならないからです。
次に、『タイプ論』第5章の「文学に見られるタイプ問題」を読み進めました。この章の主題は、カール・シュピッテラー作『プロメテウスとエピメテウス』を心理学的観点から考察することですが、他にも様々な文献、例えばゲーテ『パンドラ』やダンテ『神曲』、初期キリスト教の信仰告白書であるヘルマス『牧者』、マイスター・エックハルトなどが取り上げられることで、この書物において最も長大な章となっています。その中で、古代インドのヴェーダ文献や、古代中国の「道(タオ)」の思想についても、かなりの量の引用をもとに考察されていきます。江戸時代初期の陽明学者で、「近江聖人」と呼ばれた中江藤樹についての記述もあり、ユングが日本人の思想家に言及する数少ない箇所の一つでもあります。
ユングが古代インドや中国の思想に見出したのは、それらがリビドー(心的エネルギー)のあり方を示すシンボル群であること、そして対立する二つの原理による葛藤こそが問題であり、これらの統合こそが救済になるという立場です。
ここで重要なのは、名前こそ挙げていないものの、ユングによるフロイト批判と読める部分がかなりあることです。例えば、「私はすでに以前このリビドーの内的分裂について指摘したことがあり、それについて反対されたが、その反対は私には間違っていると思われる」(邦訳p.368)といった部分がその例です。
ユングと協働していた頃のフロイトの考え方では、人間の内部に存在する衝動はただ一つ、性衝動のリビドーのみです。これに対立するのが、外界に由来して内的衝動の実現を妨げる現実原則です。人間の倫理や道徳は、この外からの制限を内面化したもので、これが「父なるもの」に相当する。つまるところ、人間内部の衝動と、外的な現実原則との葛藤が、人間を形成していくという考え方です。
一方でユングは、人間の内部に対立する二つの衝動があり、その間の葛藤が人間を形成していくと考えます。外界との対立に見えるものも、実際には内的対立の投影にすぎない。人間の倫理や道徳も、外から与えられるものではなく、人間の内部から自発的に現れるものです。これは象徴的には「産み育てる母」と「破壊し呑み込む母」の対立となります。こうした見方をユングが『リビドーの変容と象徴』(1912-13)で示したことにより、フロイトとユングは最終的に決別をしています。これが上の邦訳引用部分の意味するところになるわけです。
フロイトから離れて自分の道を選んだユングにとって、人間の内部に対立する二つの原理を認め、その葛藤からの救済を説く古代インドや中国の思想は、自身の理論に先立つとともに裏付けを与えるものと思われていたでしょう。ここにも、ユングにとっての東洋思想の重要性が伺えます。
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ユングは、外向-感情移入および内向-抽象について、その無意識のプロセスまでも含めた詳しい考察を行なっています。図はその内容を示したものです。
外向型の人が客体に感情移入できるのは、客体がそれほど脅威でない、つまり客体がある意味で空(から)になっているからで、主体がエネルギーを注ぎ込むことではじめて客体は命あるものとして映ります。しかしなぜ客体が空なのかといえば、実は当人が意識していない無意識のプロセスにおいて、内向すなわち客体から主体へのエネルギーの引き上げが行われており、主体の側にエネルギーが満ちた状態になっているからに他なりません。外向型の人にこの無意識過程は意識されていないので、客体は最初から空の存在として認識されています。
これとは逆に内向型の人では、無意識において客体にエネルギーが注ぎ込まれる外向過程が起きており、それゆえに客体が実際以上に強い影響力を持った脅威的な存在に感じられます。すると意識的には、客体から主体へとエネルギーを引き上げる抽象の作用が自己防衛として必要になってくる。内向型の人も無意識過程は意識していないので、客体は最初から脅威ある力に満ちた存在として認識されています。
つまるところ、ある人が客観的なこととして把握している世界や客体は、本当のところでは決して客観的ではなく、むしろ当人が意識していない無意識過程によって意味づけされ構成されている主観的世界なのです。意識過程と無意識過程が反転した上でセットになっている、この捉え方こそがユングのタイプ論における勘どころです。
9月7日【第7回】
今回からは、ユング「チベットの死者の書の心理学」を読み進めていきます。
■ C.G.ユング「チベットの死者の書の心理学」(1935)
邦訳:『東洋的瞑想の心理学』所収 湯浅泰雄・黒木幹雄訳、創元社
1983.11(第一版)、2019.1(新装版)
「チベットの死者の書(バルド・テドル)」は、チベット仏教ニンマ派の埋蔵教典で、臨終の時から49日間のバルド(中陰)期間にわたって死者の耳元で読み上げられる書物です。死者の経る体験を三段階に分け、それぞれの段階において輪廻からの解脱やより良い生まれ変わりの方策を説いています。西洋ではエヴァンス=ヴェンツの英訳(1927)によって初めて紹介され、反響を呼びました。ヒッピーたちにも広く影響を与え、日本ではNHKスペシャル「チベット死者の書」の放映(1993)をきっかけに大きな話題となりました。
ユングは、この書のドイツ語訳出版(1935)の際、今回のテキストとなる心理学的注解を寄せ、以降の「チベット死者の書」の受容に大きな役割を果たします。ユングはこの書を、意識の諸段階におけるあり方を示すものとして心理学的に読み解いていきます。
今回はまず最初に、当テキストを読む上で重要となるユング心理学上の観点を改めて確認しました。どれもこれまでスタディで取り上げられた問題ですが、主要なところは以下の通りです。
ある人が客観的かつ「所与の事実」として把握している世界や客体は、本当のところでは、当人が意識していない無意識過程の投影によって意味づけされ構成されている主観的世界である。この投影の無意識的プロセスを意識化するとき、その当人は、客体が主体に対して持っていた無意識の強迫的な力から距離を取ることができるようになる。これが心理学的観点から見た「解脱・解放・悟り」体験である。
こうした気づきは、わたし(自我)以外の無意識的な心の諸要素を、自分自身の内部に発見することでもある。その結果として、自我中心だったわたしのあり方は、わたしの心のすべての要素の中心たる「自己 Selbst, self」へと移行する。この「自己」は伝統的には「神」などのイメージで表現されてきた超越的なものであり、自我に比べてより包括的で永遠的なるものに感じられる。こうした「自己」が顕わになる心理的過程こそが、ユングの言う自己実現であり個性化である。
人生前半期では、環境への適応が人生の課題であり、そのためには自我を確立させていくことが重要である(自我はもともと、生物の環境適応の機能に起源を持つと考えられる)。しかし、人は自分の得意な自我の機能を元に環境適応するので、得意でない未発達な部分は無意識へと追いやられてしまう。人生後半の、死に向かう準備期には、この無意識と向かい合うことで自己実現をしていくことが課題となる。死とは、いわば自我中心の構造が破綻・消滅することであって、死の受け入れに際しては、自身のアイデンティティの根拠を自我から自己へと移行させる必要があるからである。
これらの事項の確認をした後に、実際にテキスト本文へと入って行きました。
バルド・テドルにおいて、死者のたましいの経る過程は、真理から意識が離れて肉体的再生へと近づいてゆく過程を示します。仏教においては輪廻転生から解脱することが目的ですので、転生に近づいていく過程は、カルマ(業)によって再び迷いの中に入っていく過程でもあるわけです。この経典は、バルドの各段階に残されている救いの可能性に気付かせ、死者のたましいを解脱させようとするものです。
ユングはバルド・テドルの内容について、「すぐれて経験心理学的である」とします。これらを単なる空想物語ではなく、実際の体験の蓄積に基づく記述であると見ていることになります。
ユングは、「形而上的な主張というものは、元来その人間の魂の申し立て」であり「当然、それは心理的」なものだとします。死後の世界にしても、神々にしても、合理的な立場からは根拠のない事柄と思えようと、それらのイメージは人間の魂の表現であり、重要な心理的事実を反映しています。
西洋人にとって「魂」や「心理的なもの」とは価値のない主観的なものとみなされがちですが、実際には、先に確認したように、私たち自身の内にあるたましいこそが、すべての「所与の事実」なるものを与えています。バルド・テドルはこのことを前提に、死者の見るもの全て、現れる神々も何もかもが、当人の心の投影であると繰り返し述べ、その認識こそが解脱につながると説いていきます。
しかし一方でユングは、この認識には一種の意志の転回〔回心〕が必要になる、とも言います。無意識の意識化によって、自我から自己へと心の中心が移行すること、自我が(象徴的にでも)いったん死んで、自我中心の態勢が変化することが伴わないと、なかなかこうした認識は得られません。
ゆえに、世界中に存在する、いわゆる通過儀礼においては、回心を象徴的にあらわす死の比喩が広く見られます。バルド・テドルは、中陰の生におもむく死者の通過儀礼にほかならず、死とは「所与の事実」の世界から解放されて自由になることなのです。
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「バルド・テドル」の邦訳は、文庫で読むことができます(ちくま学芸文庫『原典訳 チベットの死者の書』川崎信定訳、1993.6)。これは1989年5月に出版された筑摩書房版の文庫化になります。この邦訳の元となるテキストはチベット仏教ニンマ派の「死者の書」で、ユングもこの英訳を読んでいたことになります。
一方、チベット仏教では「死者の書」と呼ばれるものが派ごとに複数あり、日本では上記邦訳の他に、チベット仏教最大の派であるゲルク派の「死者の書」も出版されています(平岡宏一編訳『ゲルク派版チベット死者の書 改訂新版』、Gakken、2023.3)。この邦訳の解説によれば、現地で実際により広く読まれているのは、ゲルク派版「死者の書」のほうになるとのことです。
10月5日【第8回】
引き続き、ユング「チベットの死者の書の心理学」を読み進めていきました。
バルド・テドルは、死者がバルドにて以下の三つの段階を経るとします。
① チカイ・バルド : 死の瞬間に魂が経験する至高の状態
② チェニイド・バルド: カルマによって幻覚が現れる状態
③ シドパ・バルド : 再び現世に生まれる際の本能的衝動の状態
これは、死者が解脱することができず輪廻転生してしまう過程、最高の意識状態からカルマによる迷いの状態に戻る過程でもあります。バルド・テドルはこれらの各局面において、輪廻から解脱する方法、あるいは転生するにしても比較的に良い世界に転生するための方策を説いていきます。これはいわば、死に際しての通過儀礼とも言うべきものになっています。
ユングは西洋において、実用に供されている唯一の通過儀礼的方法は「無意識の分析」であるとします。無意識の分析とは、分析が深まることで人格の最高の状態が完成されていく過程であり、上の段階を逆にたどっていくことになります。それゆえユングは、この書を「逆に読む」ことを勧めます。これは、バルド・テドルの内容を、現代の西洋人にとって体験可能な事柄と結びつけて理解しようとすることに他なりません。
ユングはフロイトの精神分析について、何よりもまずシドパ・バルドの領域の諸経験を明らかにしたと述べます。シドパ・バルドの記述には、死者が男女の性交を見て嫉妬する側の性に生まれるといった、いかにもフロイトのエディプス・コンプレックス理論が思い起こされる描写があります。シドパ・バルドは、現世の肉体に引きつけられて転生をする段階にあたり、心理学的には、生物学的な衝動に駆られた無意識領域の問題が扱われていることになります。
ユングはフロイトの精神分析を、無意識的領域に踏み込んだ西洋で最初の試みとして評価する一方で、生物学的前提を元にすることで本能領域にとらわれてしまい、個人的主観をこえた心的存在(すなわち元型)の体験領域に進むことはできなかった、ともします。その先に進むためには、隠された(オカルト)領域に入らざるをえないとユングは述べます。
突然に「オカルトの領域」と書かれると戸惑うところかもしれませんが、ここでのオカルト領域とは、本能的な衝動とは異なる、場合によっては本能的衝動に対抗するような、元型的-精神的な方向づけに関わる領域を意味するものと理解できるでしょう。宗教的領域という言い方をしてもいいかもしれません。
ユングは分析が進むにつれて、個人的無意識の問題が意識化されてくると、次に集合的無意識の問題が現れてくると指摘していました。チェニイド・バルドは、まさにこの元型的イメージによる集合的無意識の体験領域にあたるとユングは考えます。
チェニイド・バルドの段階では、様々な神々が日毎に順に現れてきます(最初の段階では穏やかな様相、次には怒れる姿となって)。これは実際、たいへん強迫的なイメージであって、ゆえにユングは「意識的状態が転倒するような危険を伴う」とします。
バルド・テドルは、それらの神々は自身のカルマの投影による幻影であること、そのことに気づくことによって導きがあり解脱が可能になると繰り返し説いています。こうしたイメージは危険なものである一方、明確な認識とともに意志的にそのイメージを受容することで、解脱に相当する次の段階へと人格の変容が生じるのです。
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フロイトが本能領域にとらわれて「オカルトの領域」に進まなかった、という記述は、ユングの自伝にある有名なエピソードを思い起こさせるでしょう。
それはユングとフロイトがまだ懇意であった1910年、フロイトがユングに対し、「決して性理論を棄てないと私に約束してください。それは一番本質的なことなのです。私たちはそれについての教義を、ゆるぎない砦を作らなければならないのです」と語り、ユングが「砦って、いったい何に対しての?」と聞き返すと、「世間のつまらぬ風潮に対して──オカルト主義のです」と答えたという逸話です(『ユング自伝 1』河合隼雄他訳、みすず書房、1972.6、p.217)。
ここでの「オカルト主義」とは、ユングが当時傾倒していた超心理学を指すようですが、ユングが今回のテキストのこの部分を書く際、このエピソードが頭をかすめていたのではないかと私には思えます。
ユングの考えでは、人間の心の内部には本能的衝動だけでなく、これに対抗するような精神的・宗教的・元型的な衝動もあり、人間の意識はこの二つの領域の間の葛藤で揺れ動く存在です。バルド・テドルはこの両方の領域を順に扱っているものと理解されるでしょう。
一方、前期フロイトの考えでは、人間の内部に存在する衝動は生物学的本能に基づく性衝動のみで、これに対立するのが外界に由来して内的衝動の実現を妨げる現実原則です。フロイトはこの両者の葛藤で人間心理を理解しようとしました。
自伝の上の箇所で、フロイトはユングに自身の立場の堅持を求めたわけですが、ユングからすればこの考え方は、本来は人間の内部にあるはずの精神的・宗教的な衝動が外部に投影されていると見えるでしょう。それではバルド・テドルに表現されているような宗教的体験領域は理解できない、というのがユングの言わんとするところです。
(フロイト的な)他者とのエロス的関係の問題や、(アドラー的な)権力的関係の問題などは、どれも人にとって現実的な問題であり、現実的な解決を必要とする「合理的な悩み」であって、特に人生前半期においては重要な意味を持ちます。これらを扱うには、フロイトやアドラーの「合理的な」心理療法が有効だとユングは言います。
しかし、人生後半期に重要になってくる「人生の意味」や「死」といった問題は、こうした「現世的な」問題解決の領域では扱えない「非合理的な悩み」であり、ユングはこれこそが自身の心理療法の対象なのだとします。(「心理療法の目標」(1929)を参照。邦訳:林道義訳『心理療法論』みすず書房、1989.1 所収)
「人生の意味」においては、この現世での自分を俯瞰するような視点や価値が重要になってきますが、これは宗教的かつ超越的な体験、ユングの言う元型的領域の体験に関わるものです。それは生物学的に理解可能な、合理的で科学的な領域に必ずしも収まらず、多かれ少なかれ不合理な「オカルト」的領域に踏み込む話になってきてしまう。ユングはこの点を強く意識していたのではないでしょうか。
図は、2019年後期スタディにてユング「心の本質についての理論的考察」を読み進めた際に、内容のまとめとして提示したものです。白い部分が意識領域、黒い部分が無意識領域で、ここでは本能の領域と精神の領域とに挟まれて、両者の間を揺れ動く意識のあり方が示されています。そもそも自我の本来的な役割は、この対立の中央にいて調整を行うことなので、対立の一方に偏れば精神的発達は止まる、とユングは述べています。
フロイトは①と②の葛藤で人間を考察しましたが、ユングは今回のテキストの中で、フロイトは②を②-1のみであると理解し、②-2の存在を見ていなかった、と指摘したことになります。ユングにとって重要なのは、むしろ②-1と②-2との葛藤であるわけです。
11月2日【第9回】
引き続き「チベットの死者の書の心理学」を読み進めました。今回でこのテキストは終わりになります。
チェニイド・バルドの状態では、「思念の諸形式」が実在として立ち現われるとユングは述べます。ここでの「思念の諸形式」というのは、ユングの「元型」概念に重なるものと理解できるでしょう。元型的イメージの現れは強い情動を伴い、実際にその当人を突き動かしてしまうので、現実的な影響力を持つことになります。「バルド・テドル」では、恐ろしい神々が次々と現れるという形でこれを描き出しています。これは人格の崩壊にもなりかねない、たいへんな心理的危機です。
しかしながらこうした中にも、一定の秩序が現れてきます。神々がマンダラ状の円形に配列されていて、四つの色で分けられた十字形を成していることが見えてきます。『黄金の華の秘密』注解のスタディで見た通り、マンダラ象徴は、心理的危機に対応して意識の集中を維持する機能を持ち、自己実現に寄与していきます。
このマンダラのヴィジョンをもってチェニイド・バルドの状態は終結を迎え、至高のチカイ・バルドの状態に到達することになります。カルマとその幻覚は消え、意識は形式や対象へのとらわれから解放され、時間を超越した原初状態に還ります。これは心理学的には、無意識の分析の最終段階、すなわち投影の引き戻しによる客体からの解放、心の様々な要素が統合された「自己」の実現に相当するでしょう。
「バルド・テドル」の心理学的注解は、これで一通り述べられたわけですが、最後にユングは改めて、「バルド・テドル」の本来の目的に立ち戻って話をします。つまり「バルド・テドル」は実際には、死者儀礼をするためのものだということです。
ユングによれば死者儀礼は、「死者たちのために何かしてやりたいという、生者の心理的要求にもとづいて」いて、それは「全くどうにもできないたましいの要求」です。西洋においては、こうした魂の要求を排除して合理化しようとしてきたために、死者への配慮はまだきわめて未発達で低い段階にある。「宗教的想像力が、死後の生の状態についてはなはだ誇張されたイメージをつくり出し、それを恐怖にみちた夢の状態や病的変質の状態として描いていることは、たましいにとっては、意外に生得的なことなのだ」とユングは述べます。
神々と霊の世界は、私の内なる集合的無意識に「すぎない」、これを逆に言えば、無意識とは私が外に経験する神々と霊の世界である、となる。私たちは死者儀礼を通して、あるいは神々や霊と呼ばれるものを通して、私たちの心の内なる集合的無意識を経験していることになります。
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ユングは「バルド・テドル」について、その英訳の出版以来、「私の変わらぬ同伴者だった」と述べています。これは単なる修辞上の表現ではなく、実際にその通りなのだろうと思わせるところがあります。例えば、ユング自伝の「死後の生命」の章などを読むと、ユング個人の死生観への「バルド・テドル」の影響が強く感じられます。以下、引用です。
…ある魂がある段階の理解を達成したときは、それ以上、三次元の世界の生活をつづけることは無意味であることもあろう。つまり、より完全な理解によって、この世に再び生れようとする望みがつぶされてしまったので、その魂はもはや、この世に帰ってくる必要がないのである。そのときは、魂は三次元の世界から消え失せ、仏教徒のいう涅槃に到達する。しかし、まだ片づけねばならないカルマが残されているときは、魂は欲望へと逆戻りをし、再びこの世に帰る。多分、そのようにしながらも、何か完成すべきことが残されていることが解っているのであろう。
私の揚合は、私に生をもたらしたものは、根本的には、理解することに対する情熱的な欲求だったに違いない。というのは、これが私の性質のなかで最も強いものであるから、この飽くことを知らぬ、理解への欲求が意識を創造し、それによって、何が存在し、何が生じたかを知り、不可知なものからのかすかなヒントをつなぎ合わして、神話的な考えをつくりあげていたかのように思われる。…
(『ユング自伝2』「死後の生命」、河合隼雄他訳、みすず書房、1972.6、p.167)
ここにはユング独自の視点もあります。仏教の文脈ではカルマは脱すべき悪しきものですが、上の引用では、カルマは人が完成するべき課題に関わるものです。私の「人生の意味」とは、いわば、私がこの世に生まれてくる理由であり、背負っているカルマであり、私が今生にて扱うべき課題であることになります。主体であるはずの自我は、ここでは何ものかに与えられた客体としての存在です。この課題を認識して実践することが、いわゆる「自己実現」なのかもしれません。
ユングは今回のテキストで、「個体の生ではなく、ことによると、人間性の十全性が増大してゆくための、多くの生を必要とする」とも述べています。十全性 Vollständigkeit, completeness とは、様々に対立する要素の全てを包み込んだ全体性のことであって、特定の方向づけで全てが統一され、方向づけに反する要素を全て排除している完全性(完璧性)Vollkommenheit, perfection とは異なります。
個人の個性化過程、自己実現の過程は、人間性の十全性が増大していくプロセスの一部にすぎない。その完成のためには何度も生まれ変わり、それぞれの生において課題に向かっていく(個性化をして自己実現し、人格の十全性を達成する)必要がある。そしてその生の成果を「死」を通して、生を与えた「何ものか」に還元していくのかもしれない。「人間の生は、到達可能な最高の完成へ至るための乗り物なのである」とユングは述べます。
このあたりの話は、すでに科学としての心理学理論というよりも、ユング自身の思想であり信念と言うべきものです。とはいえ、このユングの思想や信念が、ユング心理学理論における個性化過程論や自己実現論、「人生の意味」や「死」の問題を扱うユングの心理療法を、水面下で支える構造になっていることが見て取れるでしょう。
ユングは、「たとえ真実は幻滅に終わろうとも、人はおそらく、バルドの生のヴィジョンに、いくらかの現実性を認めたいと感じざるをえないだろう」と述べますが、ユング自身の死生観についても、この言葉は同様に当てはまるように思われるところです。
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図は、邦訳にある五智如来のマンダラ図(新装版p.71)に、私が着色をしたものです。チェニイド・バルドの状態が終結を迎え、至高のチカイ・バルドの状態に到達する際に現れる神々の配置になります。四つの智慧を表す四色の如来たちの中心に、それらの根源となる大日如来が位置しています。
全く混沌としているかのような状況の下でも、こうしたマンダラ・シンボルが自然発生的に現れてきて、それが「救い」につながる。これが、スタディにて読み進めてきた「心理学と宗教」から「黄金の華の秘密」注解、今回の「チベットの死者の書の心理学」までを一貫するテーマです。
12月7日【第10回】
今回からは、ユング「チベットの大いなる解脱の書」をテキストに読み進めていきます。
ユング「チベットの大いなる解脱の書」(1939年)
邦訳:湯浅泰雄・黒木幹雄訳『東洋的瞑想の心理学』(創元社)所収
1983.11(第一版)、2019.1(新装版)
「チベットの大いなる解脱の書」はチベット密教の経典で、「チベット死者の書」と同じく、エヴァンス=ヴェンツの英訳によって西洋に知らされました。1939年に英訳が刊行された際に、訳者の依頼によって書かれた心理学的注解が今回のテキストです。このユングのテキストは2部構成で、前半は「東洋と西洋の思考様式の違い」と題された論考、後半は経典の内容に対する注解になっています。
ユングは今回のテキストを、東洋と西洋とでの「心」概念の違いについて注意を促すところから始めます。西洋近代において誕生した「心理学」なるものを、西洋とはメンタリティの異なる東洋の「心」の理解に無批判に適用してよいのか、という問題です。
このユングの問題提起を理解するにあたっては、改めて西洋思想史を参照してみる必要があります。西洋思想では人間の認識能力を、伝統的に「知性・理性・感性」の三つに区分けして考えてきました。このうち、人間を超えるものを直観してそれと繋がる能力とされる知性が、長らく最高次の能力とされていました。知性の働きに基づいて、感覚や知覚に捉えられる世界を超えた超越的存在や、自然全体の本性や本質を問う「形而上学」こそが、近代までは西洋思想の本流でした。
しかしカントの批判哲学に至り、「知性」による直観、形而上学的主張は単なる主観的な独断ではないかと疑われ、推論を重ねて事象の洞察に至る論理的能力である理性こそが、最も最上の能力とされるに至りました。このカントにおける哲学の転換以降、知性は感性の素材を一通りの認識としてまとめ上げるだけの機能という位置付けに変わり、日本語の訳語でも「知性」は「悟性」と当てられるようになります。
さらにカントは、理性の認識における限界をも示し、理性の理解の外にあるものについては何も語り得ないとしています。理性の限界を超えたものについて語ると、そこには主観的な投影が働くので、独断的にならざるを得ないわけです。ユングは批判哲学を「現代心理学の母」と位置付けますが、心理学は、理性の外にある形而上的主張が正しいか誤っているかを検証する手段を持たず、ただそれを「一つの主張にすぎない」とみなすだけです。
しかしユングによれば、この批判哲学を経ても、西洋で知性優位の立場が完全に捨て去られることはなく、それゆえに、科学(理性重視)と宗教(知性重視)との争いという新たな西洋の病が生まれます。さらには「裏返しの形而上学」である唯物論も登場します。唯物論者は、人間が認識できる範疇を超えた先に「物質」が存在すると断じているわけで、実のところ、唯物論は形を変えた形而上学にすぎないことになります。
こうした経緯をもって、現代の西洋人における「心」は、ただ単に主観的な心理的機能を意味し、宇宙との根源的な結びつきから引き離された個人的存在になっています。ユングは西洋におけるこの状況について、「心というものが生み出した事物や諸存在が生きて動いていたあの不思議な世界に別れを告げたときに、われわれは何かあるものを失ってしまった」、「物体のもつそういう能力がわれわれ自身の側に属するものであり、それらの意味はわれわれの側から投影したものである、ということを理解しなければならなかった」、「近代認識論は、人類の少年時代を抜け出した最後のステップにすぎなかった」と述べていきます。
この西洋の状況と対照する形で、ユングは東洋の伝統文化について、西洋の心理学にあたるようなものを持たず、形而上学だけを生み出してきたとします。東洋における「心」は、いまだ宇宙的なものであり、存在一般の本質として普遍性を持つものです。また西洋の伝統では、人間は神に比べてあくまでも小さい存在で、神の恩寵によってのみ救われうる非力なものですが、東洋では人間自身が本来的に神であって、自らを救済することができるとされています。
つまるところ、神的なものとの繋がり、あるいは救済のための力を、自らの心の内に認めることが困難であるのが現代西洋人のメンタリティであるということになります。ユングは自身の分析経験を通して、人間の心の奥底にあるそうした力に気づきましたが、この自身の体験と同じものを東洋思想の中に認めているわけです。(ところで現代の日本人は、ここでユングが描く東洋的伝統に属しているでしょうか。それとも、ここに描かれている西洋人の姿に近いでしょうか?)
ユングは続けて、「人間は、心に内在する諸傾向の限界を越えて認識することはできない」、そのために「世界の外見や現象形態が、自身の心の状態に大きく左右されている」とします。これまで繰り返し見てきたように、私たちの無意識が外界に投影されることで、私たちの見る世界の姿が形作られています。これは人間が外界を直接には知り得ないがゆえに行われる投影なのです。
何ものも心的イメージとして現れないかぎり、私たちには知られえない。ゆえに心的存在こそが、われわれが直接に知っている存在の唯一のカテゴリーです。そしてこの心的存在の中にこそ、私たちの「心に内在する諸傾向」、すなわちユングの言う元型の形式が投影されていることになります。
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図は、高橋澪子 『心の科学史 西洋心理学の背景と実験心理学の誕生』 (講談社学術文庫、2016.9)からの引用で、図2のほうには一部こちらで補足の書き込みを加えています。
西洋での伝統的な人間理解は、「霊・魂・体」の三分法によるものと、「心・体」の二分法によるものとがあります。二分法はアリストテレスに由来しますが、近代までの主たる理解の方法は、キリスト教も採用している三分法の方でした。これは、人間の心の働きを、精神的で神聖な「霊」的なるものと、身体と結びついた俗なる「魂」的なるものとで分ける考え方です。
しかし16世紀半ばのデカルトの登場により、「心・体」の二分法が広く採用され、学問としては体(物質)を扱う自然科学と、心を扱う意識の科学に分岐することになります。意識の科学は現代心理学の源流であり、ロックなどのイギリス経験論からカントを経て、内観の心理学へと受け継がれ、実験心理学の始まりとされる1879年のヴントによる心理学研究室の設立に至ります。
しかしこの後、内観の心理学は科学たり得ないとして、1930年台後半に心理学における行動主義革命が起きます。「心」という曖昧な概念を捨て、客観的に観察可能な行動の束のみを取り扱う行動科学は、自然科学の流れに合流していきますが、心を心として取り扱う流れも、臨床心理学などの中に受け継がれていくことになります。
ちなみに、フロイトの精神分析もユングの分析心理学も、ヴントによる心理学研究室設立と行動主義革命の間となる、心理学史の上での特異な期間に形成されてきました。このことの意味は小さくないかもしれません。
つまるところ、現代心理学のパラダイムは「心・体」の二分法にあることになります。伝統的な三分法の立場から見れば、二分法は心の中で区別すべき要素を一緒にしているか、霊なり魂なりの何らかの要素を切り捨てているかに見えるでしょう。現代心理学における「心」が、単なる心理的機能になっている、というユングの指摘は、こうした心理学史の流れの中でも捉えることができます。
ユングの思想は、基本、三分法に近い立場であって、その意味では現代心理学とはパラダイムを異にしていると言っていいかもしれません。他方、同じ三分法を共有するキリスト教や西洋錬金術などとは親和性があり、それがユングの後期研究の基盤ともなるわけです。
2月1日【第11回】
引き続き、ユング「チベットの大いなる解脱の書」を読み進めていきました。テキスト前半「東洋と西洋の思考様式の違い」の中盤部分が今回の範囲です。
まずユングは、自身のタイプ論を改めて援用して、西洋の認識は典型的な外向的視点、東洋の認識は典型的な内向的視点を示しているとします。外向的人間と内向的人間が互いに相手の価値を軽視するのと同様、東洋的な見方と西洋的な見方の間にも情緒的な対立が見られることになります。
外向的な西洋においては、外的対象や外的状況への適応が重視されるため、内向性は何か異常なもの、病的なもの、許しがたいものと感じられます。一方で東洋においては、外向性は空しい貪欲として低い価値しか与えられません。外界に対する欲望は因縁のつらなりを生み出し、輪廻の中に留まることの本質的要因になるからです。
これまでのスタディで見てきたように、ユング心理学の観点からすれば、外的対象への欲望や固着は、内的な無意識内容とその情動を外的客体に投影していることに他なりません。この投影を意識化して引き戻さない限り、主体は投影の対象となる外的客体に捉えられ、情動的に揺り動かされ続けることになります。この投影の意識化と引き戻しこそが、ユングの考える「悟り」の心理学的側面になります。
また、この外向性と内向性の問題に含まれた宗教的な側面も重要です。キリスト教的西洋は、人間を全く神の思寵に依存する存在と見ていますが、東洋では人間の内にある「たましい」の仏性、自己救済が信じられています。
西洋の場合の「偉大なる力」は、彼自身にあるのではなく、自己の “外に” あるものであり、それが唯一の実在です。よいものは全て自分の外にある以上、それをなんとしてでも獲得して、ちっぽけで空っぽな自分に注いでいくようにしなければならない。ユングはここで、神の代わりに何か現世の価値あるものをはめこむならば、貪欲な「西洋的人間の完壁な像」が得られるとします。
西洋人が東洋の修行方法をそのまま取り入れることに対して、ユングが否定的であるのは、単に「外から良さげなものを獲得してくる」だけの姿勢が、そもそも非東洋的なものであり、東洋思想が示している価値を受け止めることになっていないからです。西洋人は、単に東洋の方法を真似るのではなく、自身の無意識内部の内向的傾向を認識し、内から東洋的価値へと至る必要がある、とユングは言います。
またユングは、西洋人が使う「精神」Geist や「心」mind という概念は、多かれ少なかれ「意識」と一致しているとします。西洋人は、ものを見る主体の無い認識、自我に関係づけられていない意識的な心の状態を考えることはできません。しかし東洋的における「精神」や「心」は、意識よりもむしろ「無意識」に近いもので、意識は自我の状態を越えることができ、「高次の」状態においては自我は完全に消えてしまう、としています。
東洋においては、西洋のいう「心」とは同一視できない「心」があり、あまり自我中心的ではない、弱められた自我を前提にした心の状態の方がより重要です。西洋が使っている意味での意識は、東洋ではむしろ劣等で真理を知らない「無明」の状態であって、西洋において「意識の暗い背景(無意識)」とされるものが高次の意識とみられています。
ユングはこれらを受けて、「東洋的な『昇華』のしかたは、結局のところ、心の重力の中心を、身体と、『たましい Psyche』の表面化された過程である心とを媒介する位置を占めている自我意識から引き下し、取り戻すこと」と述べます。これはユング心理学の観点からは、意識領域の中心たる自我から、心全体の中心である「自己」に、心の重心が移ることに相当します。この「自己」に関係づけられた意識の状態が、東洋における「高次の意識」に相当することになります。
「昇華 Sublimation」とは精神分析用語で、人間の内的衝動が社会的に望まれるあり方に転換していくことを指します。東洋では、「たましい」の下位の部分である半ば身体的な諸層は、ヨーガの辛抱強い訓練によって「高い」意識の成熟を妨げないように適応させられ、形づくられてゆきます。これは西洋的な昇華の場合に行われているような、身体的な諸層の全くの否定や、強い意志の努力による抑圧とは異なる、統合的なあり方になります。
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ユングの言う外向的な西洋・内向的な東洋という対比は、実際のところかなり雑ではあります。例えば、日本仏教における自力と他力の立場の違いを見ると、日本にも外向的宗教観があるように思えますし、西洋においても内向的傾向を持つ文化の伝統はあるでしょう。とはいえ、問題を明確化して考える上での理念的枠組みとして、この対比は有効であると思います。
また、このユングの枠組み設定の背景に、フロイトとユングとの意見対立の問題を見ないわけにはいきません。ユングはフロイトを外向的、自身を内向的としていますが、フロイトのような外向的な立場からは、外的な現実への対応がうまくできないことが問題であり、内向的な姿勢は基本的に病理的なものとみなされます。
フロイトは内向の状態を、通常は外的客体に向けられるはずのリビドーが空想へと後退することであるとし、それを神経症の症状形成への中間段階として捉えました。それ自身では神経症とまでは言えなくとも、心理的に不安定であって、場合によっては神経症の症状が引き起こされる状態です。フロイトは「空想と現実との違いの無視は、内向によって規定されている」とも述べており、内向は外界への関心が引き上げられて現実認識に問題がある状態と関連づけられています。
またフロイトは、内向という言葉の意味をリビドーの空想への後退に限定しており、ユングが内向という言葉に、フロイトの考える自己愛(ナルシシズム)まで含めてしまっていることを問題視します。フロイトにとってナルシシズムは、一般的な神経症とは異なる精神病圏の病理を説明する上での重要な理論的問題でした。ユングは実際、そうした内向概念における区別を重要視しないようで、今回のテキストでも、フロイトが内向性を「自己性愛的 autoerotic で自己陶酔的 narcissistic な精神態度と同一視」したと指摘しています。
ユングの考える内向とは、内的イメージにおいて現れてくる元型的なものに向かい合うことになる状態です。元型的イメージの情動性に圧倒されてしまうと病的な状態になりますが、他方でそれと能動的な関わり方を保ち、意識して投影を引き戻すことができれば、現実への補償性や創造性が生まれるとします。
ユングは東洋の思想や修行の中に、内向的姿勢のプラス面を見て取ったことになります。内向的なものの価値を理解できなければ、つまるところ東洋的な体系の価値も理解できないわけです。
左の絵は、カラヴァッジォによる有名な「ナルキッソス」(1594-96) です。ギリシア神話でのナルキッソスは、水面に映る自分の姿に恋し、終には命を落としてスイセンの花となります。この神話が「ナルシシズム」の語源です。
しかし実のところ、精神分析におけるナルシシズム概念は、その言葉から通常イメージされる自己陶酔や自己愛的なあり方とは、必ずしも一致しません。むしろ外部に対する自己防衛として、外界の対象から関心が引き上げられ、自己にリビドーの備給がなされるような状態を指しています。
この意味において、ナルシシズムの現代的問題として挙げられる例の一つは、いわゆる「引きこもり」です。右の引きこもりのイラストは、フリー素材「いらすとや」からの一枚になりますが、これは一般的なナルシシズムの理解とはかなりイメージが異なるところです。ユング心理学の観点からすれば、こうした状態のなかにも、人が生き方を変えていく上での必要な後退という面があるかもしれません。
3月7日【第12回】
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引き続き、ユング「チベットの大いなる解脱の書」を読み進めていきました。テキスト前半「東洋と西洋の思考様式の違い」の終盤部分が今回の範囲です。
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外向的な西洋においては、いわゆる真理というものは外界の状況と合致していなければならず、外的な事実によって検証されないものは「単に主観的なもの」にすぎないとされます。しかし、人の認識における主観的要因というものは、「単に主観的なもの」といった個人的主観主義を必ずしも意味しません。
人間の心は、その心の機能が持つ不変な構造形式を通して、諸事実を同化していきます。人間の認識は客観的に存在する心の構造形式(いわゆる元型)によって形づくられているので、主観的要因を信頼する人、つまり内向的な東洋の立場では、この心的法則の実在性をよりどころにして、自然な形で「たましい Psyche」から生じてくる豊かな真理を手に入れます。
つまるところ西洋は、外界の事象を扱う自然科学や近代的技術においては発達しているものの、内面の精神的洞察と心理学的技術に関しては、東洋の方が精緻なものがある、とユングは捉えています。
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西洋の外向的見地からいえば、人間が自らの内部に自己救済能力をもっているという主張は、はなはだしく神をけがす考え方です。一般的なキリスト教の考え方では、神は外にある超越的な存在ですが、人間はちっぽけで非力な存在にすぎず、神の恩寵によって救われるしかないとされているからです。
しかしながらユングの心理学では、この自己救済能力に相当するものを人間心理の内部に認めます。つまり、無意識の内部で一定の過程が進行し、象徴の力によって意識の態度の偏向と混乱を補償する、という心理過程が存在します。ユングは自身の臨床実践の中で、無意識の補償作用が分析技法によって意識化されると、意識の状態の高度な変容をひき起こすことに気づいていました。
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ユングによれば、最初に現れてくる補償作用は、たいていの場合、異様で受け入れがたい内容が意識に侵入してくることであり、これは葛藤の状態を引き起こします。こうした内容を排除することなく、衝突を受け入れて耐えていると、この行きづまりの状態が、無意識の諸要素を組み換えていく作用を引き起こします。意識的な未決定状態の持続が、無意識の中にある新しい補償的反応をひき起こして、思いもかけないやり方で別の問題が提起されたり、すでに提起されていた問題が思いがけないしかたで修正されたりする。こうした過程が、根本にある葛藤が満足できる形で解決するまで続きます。
(ここは抽象的な話で分かりづらいかもしれませんが、例えば、仕事や生活の上での課題において未解決のジレンマが意識されており、解決法をずっと思いあぐねているとき、なにかの拍子に突然新しいアイデアが湧いてきて解決に至る、といった経験なら誰にでもあるかと思います。ここで重要なのは、課題の問題点を明確にして、それを意識し続けていることであって、それがなければ課題解決としてのアイデアも出てくることはありません。)
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これら一連の心理的変容の過程と方法を、ユングは「超越的機能」die transzendente Funktion, transcendent function と呼びます。つまるところ、心に元来備わっているこの超越的機能こそが、ユング心理学の臨床的方法の基盤であるとともに、東洋的方法が依って立つところの自己救済能力そのものであるわけです。ユングは『黄金の華の秘密』注解の中でも、物事が生じてくるままにしておくことこそが「真の技術」である、と述べていました。
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もっとも、無意識の補償作用は、自分の意志で呼びさますことのできないもの、「そういう作用がもしかしたら生まれてくるかもしれない」という可能性に頼るより外にないものです。意志で自由にコントロールできないことが、外向的な立場にとっては内的なものの排除と過小評価の根拠となっています。
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ユングによれば、東洋のテキストが示している「心」とは、イメージを生み出す根源の心のことであり、心の構造形式(いわゆる元型)のすべてのマトリックス(ものを生み出す基盤となる母体)のことです。別の表現で言えば、全てが一体となった根源的な「一なる心」、この宇宙における「普遍的な心 the Universal Mind」です。
西洋においてこれに相当する概念を探すとなると、これまで幾度かユングの別のテキストでも取り上げられてきた、いわゆる「宇宙魂 anima mundi」が思い起されます。これはプラトン『ティマイオス』を源とするイメージで、宇宙全体が一つの魂であり、宇宙のどこにでも遍在する魂の観念です。
無意識とはイメージを生み出す「心」として創造的なものです。無意識の示す形態や構造は、不変なので永遠なものに見えます。また、意識における区別や差異に対して、無意識の諸内容はきわめて漠然として容易に混ざり合っています。ゆえに、無意識が意識に認知される際には、創造的で無定形、無時間的、一体性といった独特な印象を与えますが、これが「一なる心」というイメージで表現されていることになります。
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前々回から指摘されているように、こうした宇宙的な心(普遍的な無意識)との根源的な結びつきから引き離されて、単なる個人的存在になってしまっているのが現代の西洋人のあり方です。そしてユングは、超越的機能こそが、西洋人が結びつきを失ってしまった母体としての「心」の領域へ、改めて接近する道筋を指し示していると考えています。
東洋が示す自己救済の可能性も、超越的機能から理解できるようになります。東洋のような内向的態度は、アクセントを外なる意識的世界から引き戻し、意識の背後の主観的要因におくものなので、必然的に無意識の特徴を示すさまざまな現れをよび出すことになるからです。
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ユングによれば、東洋は意識の世界を過小評価し、西洋は一なる心の世界を過小評価しています。どちらも全体的な現実から切り離されているので、人為的で非人間的なものになりやすい。その一方で、一面性に徹するところがなければ、人間の精神は花開くことができないこともある。(すでに見てきたことですが、人生の前半期には自我の確立という課題があり、そのためにはある種の偏りが必要になります)
この両者の心理学的な立場を理解し、それぞれが花開かせた精神的遺産を損なうことなく、それぞれの抱えた問題に対応すること、それがユングの東洋思想論の意図するところになります。
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今回のテキスト内で、ユングは「現代の東洋は全く変わってしまった。それは、徹底的に、どうしようもないくらい、西洋からかき乱されてしまっている。ヨーロッパの戦争のやり方の最も効果的な方法まで、東洋はみごとに模倣しているのである」と述べています。
ここでユングが念頭に置いているのは、おそらくは日本のことでしょう。このユングのテキストが出たのは1939年ですが、この2年前となる1937年に日中戦争が勃発しているからです。同年1939年の9月には第二次世界大戦も勃発していますが、テキスト内には宗教運動としてのナチズムへの言及も見られます。
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写真左は、イグナティウス・ロヨラ『霊操』の邦訳書の表紙になります。今回のテキスト内では、「イグナティウス・ロヨラ『霊操』の未熟さをヨーガの精密な技術と比べれば」と、西洋の内観的技術の未発達さを言うために引き合いに出されています。ちょっと手厳しい扱いという印象ですが、実際のところユングは『霊操』についてかなり関心を持っており、ユングの他のテキスト内でも様々に言及しています。
特に重要なのは、このユングのテキストが出た1939年、その年の6月からユングはチューリッヒ工科大学にて『霊操』についての連続セミナーを始めており、それは翌年の11月まで続いて全20回ほどにもなっています。このセミナーは、まさに第二次世界大戦勃発の数ヶ月前に始まり、大戦中ずっと続いていました。写真右は、そのユングの『霊操』連続セミナーを収めた英文書籍の表紙です。(現在のところ未邦訳)
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内向的な技法に関するユングの思索は、同時代の出来事に対するユングなりの危機意識によるものと見ることができるように思います。