◆2018年(通期)ユングスタディ◆ ※事前の申し込みが必要です
「ユング『アイオーン』を読む」(第8回)
■日程: 第一回 3月1日(木)
第二回 4月5日(木)
第三回 5月10日(木)※第二週
第四回 6月14日(木)※第二週
第五回 9月5日(水)※会場の都合で水曜日です。お間違いなく。
第六回 10月4日(木)
第七回 11月1日(木)
第八回 12月6日(木)
■時間:19:00~21:00 (開場は18:30)
■内容:
2018年のユングスタディでは、年間を通して、第9巻・第2分冊となる『アイオーン』(原著1951年)を読み進める予定です。
『アイオーン』は、心の全体性を表す元型である「自己」元型について、様々なシンボルを通して考察している論文です。ユング晩年の著作であり、さまざまな元型を統一的に理解できる整理された内容になっています。個性化過程の一通りの完成を示す「自己」元型ですが、決して固定された静的なものではありません。むしろ、時代(アイオーン)を通じて様々に変化する動的なものです。人間は、新たな時代には新たな事象を取り込んで、常に新たな全体性を作り出していかなくてはならない。それが人間にとっての大きな課題であるとユングは考えていたのでしょう。
テキスト:C.G.ユング『アイオーン』、野田倬訳、人文書院、1990.10
開催月:2018年3~6月(前期4回)、9~12月(後期4回)
開催日:原則として第1木曜日19:00 ~ 21:00 (開場18:45)
邦訳テキストについては、持参することを推奨しますが、邦訳そのものが絶版で古書でしか手に入らず、また高価でもありますので、原則としてテキストを持参しなくても参加可能な形にて進めたいと思います。
なお、5月については連休があるため、第2木曜日を予定しています。また、会場取得の都合により日程が変わる場合がありますので、ご注意ください。詳細なスケジュールは追ってお知らせ致します。
進行役:白田信重、山口正男、岩田明子(ユング心理学研究会)
■会場:中野区産業振興センター(旧称 勤労福祉会館)
■会費:1000円
■問い合わせ先: jungtokyo_info@yahoo.co.jp(研究会事務局)
※資料準備の都合等から、事前の参加申し込みが必要です。
※セミナー時に撮影した写真を当研究会のホームページやFacebook等のソーシャルメディアに公開する場合があります。あらかじめご了承ください。
「ユング『アイオーン』を読む」(第8回)
前回11月1日のユングスタディでは、第12-13章「キリスト教的錬金術の象徴表現の心理学に関する一般的背景」「グノーシス主義における自己の象徴」を読み進めて行きました。
ユングは、現代人が無意識の根から離れて分裂し、対立を深めていることを指摘します。そしてこの事態に対応するためには、神話的なものを新しい形で再受容し、象徴による統合の治癒効力を引き出すことが重要であるとします。
ユングは魚シンボルに関して、歴史的にはキリストの受容に重要な役割を果たしてきたことを認めつつも、それが未だ動物のシンボルであること、つまりまだ自己が無意識内にとどまって意識の中に実現していない状態を示すものであるとして、その不十分さを示します。今の時代に必要となるキリスト教の新しいシンボルの可能性について、ユングは、西暦初め頃に現れたグノーシスの象徴の中にその先取りや予示を見出します。
次回12月6日のスタディでは、第14-15章「自己の構造と力動性」「結語」を読み進めます。第14章においてユングは、自己についての全般的説明を行った後、グノーシス主義に見られる様々な自己のシンボルを素材に、変化する自己の力動性について様々なダイアグラムを駆使して包括的な像を示していきます。いわば『アイオーン』における考察の結論としての、自己のモデル化にあたります。続く第15章においては『アイオーン』全体が振り返られ、この書の終わりとなります。
『元型論』から『アイオーン』へと読み続けた2年間ですが、今回のスタディをもって、ユング全集の元型論文巻とされる第9巻二分冊をほぼカバーして読み通したことになります。これも参加者皆様の根気強いご参加の賜物であると思っております。
「ユング『アイオーン』を読む」(第7回)
前回10月4日のユングスタディでは、第10-11章「錬金術における魚」「魚の錬金術的解釈」を見て行きました。
ユングによれば、魚は、無意識一般を意味する象徴である海の中で見だされるものなので、無意識の中にある自己(ゼルプスト)・神なるものを表します。この自己から発せられる「磁力」が船を捉えますが、これについては、神が私たちを引き寄せて目覚めさせる力、心理学的には自己が自我意識を捉える力を表していることになります。
これに対して、錬金術のものの考え方では、引力の出どころは魚ではなく、人間が所有している磁石である、となります。この放射の逆方向性は、キリストに対応する「大宇宙の息子」を自分たちの業(クンスト)によって生み出すことができるという考えに至りますが、これは心理学的には、自我による無意識内容の意識化と、それによって自己の内容が意識の中に定着されることを示している、とユングは言います。
次回11月1日のスタディでは、第12-13章「キリスト教的錬金術の象徴表現の心理学に関する一般的背景」「グノーシス主義における自己の象徴」を読み進めて行きます。
第12章においてユングは、現代に生きる我々が、個々の内的体験へと通じる橋を失っていると言います。そして、こうした喪失が現代における自由の剥奪やテロ行動に繋がっており、対処のためには個々の内的体験を受容するための新たなシンボルが必要だとされます。このユングの指摘は、まさに今のこの現代において、より重要な意味合いを持っているように思います。
第13章ではグノーシス主義に見られる様々な自己のシンボルを見ていきますが、これらは、最終章となる第14章「自己の構造と力動性」において、ユングが自己に関するシンボルについての総まとめをする際の材料になっています。
「ユング『アイオーン』を読む」(第6回)
前回9月5日のユングスタディでは、前期スタディ内容の簡単な再確認を行ってから、第6-9章「双魚宮」「ノストラダムスの預言」「魚の歴史的意味について」「魚シンボルの反対傾向並存」を見ていきました。
初期キリスト教が魚のシンボルを採用したことには、当時の春分点が双魚宮にあったという占星術上の配置が影響しています。双魚宮のシンボルは、垂直の魚と水平の魚の二匹がつなぎ合わされた形になっていますが、この二匹はそれぞれキリストと反キリストに割り当てて考えられます。春分点がさらに移動してキリストの魚から反キリストの魚に移るところ、これと時を同じくして、上方を志向するゴシック的努力から、フランス革命の精神に代表されるような水平運動(地球の制服と自然の制圧)への移行が起きた、とユングは考えています。
双魚宮時代はキリストと反キリスト、すなわち善悪の対立というモティーフに支配されており、これが今の時代の政治的対立や個人の心の分裂をもたらしています。そうであれば次のプラトン月、宝瓶宮の接近との共時性によって、悪の存在との対立統合の課題が問題になる、とユングは言います。
次回10月4日のスタディでは、第10-11章「錬金術における魚」「魚の錬金術的解釈」を見て行きます。ユングによれば西洋錬金術は、キリスト教の主流によって顧みられなくなった様々な要素を統合する課題を受け持っていたとされます。対立する双魚宮のシンボルとはまた異なった、統合のイメージとしての魚シンボルについて様々に考察をする回になるでしょう。
「ユング『アイオーン』を読む」(第5回) 9月5日 水曜ですお間違いなく!
「ユング『アイオーン』を読む」(第4回)
前回5月10日のユングスタディでは第4章「自己」を読み進めました。
この章では、まず最初に、自己の超越的内容が自我に統合されることで引き起こされる「自我肥大」の危険についての話から始まります。自我肥大には自我が自己に取り込まれて現実感覚を失う場合と、自我が自己を取り込んで我が物としてしまう場合とがあります。前者では一般的な道徳に従うことが、後者では逆に一般的な道徳の枠組みから外れることが重要なことになります。道徳的な葛藤を人間の成長において重要視することはユングの特徴です。続いてユングは、心の内から現れる衝動を、決定力を持った「神の意志」として捉えることで、元型的なるものとの心理的な調和を取ることができると述べます。さらにユングは、心の問題を扱う上では、知性だけではなく感情も重要視するべきとします。そして最後に、我々が歴史を通じて体験的基盤を失ってしまった「形而上的諸表象」に投影されていた心的諸内容を、元型的観点を通して自我と再結合することの重要性が説かれます。
前期最後となる次回6月14日のスタディでは、第5章「キリスト、自己の象徴」を読み進めます。ユングは現代において、キリスト教が歴史的に培ってきた諸表象が、新たに無意識から湧き上がってくるものを表現できておらず、それが故に受け皿を失った神話の持つ独自の活動力が、ナチスドイツのような社会的に混乱した事象へと流れ込んでいくと考えていました。ユングにとって、キリスト教のイメージをいかに捉えるかという問題は、人類の存亡にも関わるような現代的課題なのです。
6月のユングスタディは、会場取得の都合などから第2木曜日の開催となります。通常の第1木曜日の開催とは異なりますので、ご注意ください。
「ユング『アイオーン』を読む」(第2回)
3月1日の初回ユングスタディでは、C.G.ユング『アイオーン』(野田倬訳、人文書院、1990.10)の序章、第1章「自我」、第2章「影」を読み進めていきました。
まずは最初に『アイオーン』の全体の構成を概観しました。個人的無意識としての「影」の意識化を経て、アニマ・アニムスのペアとなるシジギーを意識化する段階では、結婚の四者性と呼ばれる四つ組のイメージが配置され、そこから心全体の中心となる「自己」が現れます。その「自己」のシンボルは、一者から四者への分割・再び一者への統合というプロセスを繰り返して、変化していきます。ユングは、キリスト教の時代において「自己」のシンボルがいかに表象され変化していったのかを検討することで、その背後にある人々の心理的変遷を明らかにしようとします。
第1章「自我」においては、自我が意識領域の中心でありながら、その依って立つ基盤の相当部分が実は無意識であることが示されます。人間の人格は、決して意識的人格とイコールではありません。無意識をも含めた人格の総体の中心こそが、ユングの言う「自己」になります。続く第2章「影」においては、人格の劣等部分としての影が持つ無意識的な情動性と自律性が問題となります。無意識はその当人を往々にして捉え、自我をその支配下に置きます。他者へと投影されがちな影は、道徳的葛藤を伴いつつも、比較的には意識化しやすい、とユングは言います。
次回4月5日のスタディでは、第3章「シジギー ─ アニマ・アニムス」を読み進めます。ユングによれば、影に比べてアニマ・アニムスは意識化がしづらいとされます。それは一体なぜなのか、アニマ・アニムスがなぜ自己の出現に関わるのか、そもそもアニマ・アニムスとは何であるのか。様々な疑問を念頭にして読むことで、個性化過程の要となるアニマ・アニムスについての理解を深める回にできればと考えています。
「ユング『アイオーン』を読む」第1回
2018 年のユングスタディでは、一年間を通してドイツ語・英語版ユング全集の第 9 巻・第2分冊に相当する『アイオーン』(原著 1951 年)を読み進めます。
『アイオーン』は、心の全体性を表す元型である「自己」元型について、歴史的なシンボル史研究を通して様々に考察をしている論文です。ユング晩年の著作であり、ユング心理学の基本的な考え方を知ることができる整理された内容です。また、後期のユング思想が持つ幅広い構想を伺うことのできる魅力ある著作でもあります。
初回となる 3 月 1 日では、最初にオリエンテーションとして、『アイオーン』がどのような著作であるのか、大まかな内容の全体像の説明をします。本書でのユングの扱う資料がたいへん豊富なので、ともすれば次々に繰り出されるイメージの中で主旨を見失ってしまいがちになります。筋となる部分を見失わずに読み通すためにも、まずは『アイオーン』の全体像を確認したいと思います。その上で、邦訳テキストの序論、第1章「自我」、第2章「影」を、適宜ドイツ語原文・英訳文を参照しつつ読み進めていきます。まずは一年間読み進めていく上での足場固めができればと考えています。