児玉教育研究所 大橋 幹夫
1. 仏教との出会い
かねて人生の折り返し地点にきたら,今までの社会との折り合いより,自分のこころとの折り合いにエネルギーを使いたいと考えていた。幸いなことに,かれこれ20年以上続けていた座禅の先生が,たまたま天台宗の住職で大正大学出身だったこともあって,私は,同大学で約2年間お世話になり,その後も故中村元先生の東方学院の研究会で,さまざまな仏教思想に触れる機会をもつことになったのである。
さて,仏教というと日本ではまず印度を連想するようで,日本からの印度ツァーには,必ずと言ってよいほど釈尊の仏跡巡りが入っている。確かに仏教の起源は印度だが,印度の仏教徒は,現実では1%に満たないマイナーな宗教である。大多数の印度人は,紀元前15世紀にアーリア民族がもたらしたバラモン教の流れを汲んでいるヒンズー教徒である。3500年の印度思想史からみても釈尊の仏教は,紀元前6世紀からせいぜい600~700年間にすぎず,しかもその期間においてもバラモン教とは併存していたと言われている。その仏教が消滅した後,印度では,バラモン教が変容した形でヒンズー教として復活し,中国や日本では,釈尊の仏教の精神とは正反対の大乗仏教として復活したわけである。
それはそれとして,私の仏教との出会いは,同時に多くのお坊さんとの出会いでもあった。周知のごとく日本の寺の住職の仕事の大部分は,檀家で亡くなった家族の葬式や何回忌などの法事とか,お正月や節分などに行う季節の行事に占められている。内容的には,死者に対する儀式と現世利益のための祈祷ということになる。しかしよく考えてみると,そもそも釈尊は,弟子に対して葬式などの俗事は僧侶の仕事ではないと言っており,実際,釈尊の葬式は在家の信者が取り行い,出家した弟子は誰も携わっていなかったと言われている。また現世利益は苦の原因である煩悩として当然否定されるものであった。そのように考えると,現在,日本の寺の住職のやっているほとんどの仕事は,釈尊が禁じていたことで,むしろ現世的祭祀宗教であるバラモン教の僧侶がやってきたことに近いと思う。現状の日本の仏教教団をみる限り,釈尊の考えたと思われる仏教の本質がまったく変わってしまったと言えるのではないだろうか。
2. 仏教と仏教徒
多くの日本人は,外国で申請書類の宗教欄に自分の宗教を記入する時,ブディストと書くそうである。確かに無宗教とすると,かえって特殊なイデオロギーの持ち主とみられると思っているので,ブディストが無難だと思ってそうする人もいるかもしれない。しかしそうした人を含めて,仏教徒を名乗る人で,たとえ経典は知らなくても,釈尊が「悟り」をひらいて仏陀(覚者)になったことに疑問を感じる人は少ないのではないかと思う。これは,イエスの「キリスト復活の奇跡」を当然のことと信じているキリスト教徒の場合と同じである。
キリストの復活については,新約聖書の解釈を中心にして1000年以上にわたり神学者の中で論議し尽くされてきた。しかし不思議なことに仏教では,経典解釈の研究には膨大な時間が費やされたが,仏教の原点である仏陀の悟りについては,言語では表せないものとして,またそれをいいことにして,あまり論議されてこなかったように思う。もっとも,これが悟りだと言われるいくつかの仏教語はあるが,多少でも仏教を勉強してきた私の場合でも,これだけから悟りを理解することは到底できないのである。ここでいわゆる「悟り」の内容として通説になっている仏教語を拾ってみると,次のような言葉がある。思いつくままに「四諦」「縁起」「三智」「中道」「八正道」などがあり,またこれに関連して仏陀に説法を勧めた「梵天勧請」というキーワードも見逃せない。これらの言葉の相互のポジショニングを確認しながら,釈尊の「悟り」の内容に幾らかでもアプローチし,イメージできたらと思う。
「悟り」をひらいた仏陀は,菩提樹の下で35日間,苦から解放された安らいだ境地を味わっていたと言われている。しかしその内容をいっさい人に説法しようとはしなかった。それを知ったバラモン教の最高神の梵天は,仏陀の許に来て再三にわたって,悟りの教えを説法して人々を救ってほしいと頼んだという。なぜバラモンの最高神が釈尊に頭を下げたのかよく分からないが,これが有名な「梵天勧請」である。これに対して仏陀になった釈尊は,自分が体験した「悟り」の内容は言葉で言い表すことはできないこと,たとえ伝えることができたとしても,アーラヤ(渇愛)を好む人々は,それには従わないだろうと言って梵天の頼みを断ったと言われている。
仏陀の立場から言えば,「悟り」の体験は無意識の中の神秘的体験であるので,日常的世界の言語では表現できないのは当たり前のことである。とすれば当時世俗宗教であったバラモン教の梵天が,このことが分らなかったのも致し方がないことだと言える。しかし最後には,仏陀は折れて説法(初転法輪)を始めるが,言葉にできないイメージを言葉でしゃべるには,間接的な譬え話しかないわけである。それがいろいろな解釈を生み,各種経典や各宗派が生まれ,混乱の原因となったが,逆にこの曖昧さと寛容さが,大乗仏教という世界宗教が誕生するエネルギーになったとも考えられるのである。
3.「悟り」へのアプローチ
キリスト教やユダヤ教におけるモーゼ,あるいはイスラム教のマホメットのような預言者は,普通の人間が神の啓示を受けることによって特別な選ばれた人になったわけである。心理学的に言えば,普通の人間が偶然か必然かは別として,ある普遍的な存在に触れ,それに神秘的一体感を伴う情動体験をして,カミ的存在になったと考えられる。人間の釈尊が,菩提樹の下で成道して,カミ的存在である仏陀になるには,そこには当然,一神教の預言者がそうであったように,一種の神秘的融即体験があったものと考えられる。そうだとすれば,その神秘体験の内容にこそ仏陀の「悟り」を解く鍵があるのではないか。そのように考えると,数々の悟りを説明するキーワードの中で,釈尊が菩提樹の下で,三日三晩にわたる瞑想の中で体感した3つの智恵,つまりその「三智」こそが,それを解く鍵ではないかと考えられる。「三智」の内容は,第一夜は『億宿命智』,二夜目が『衆生生死智』,そして最後の三夜目には『漏尽智』を覚ったと言われている。そして釈尊は成道して仏陀になったのである。
さて,「三智」の中でも中心になると思われるのが,第一夜で観た『億宿命智』と言われる智恵のイメージである。そのイメージとは,釈尊がその一夜で(1)人類(一切衆生)の無始から現在までの歴史のすべての現象を観たことと,(2)釈尊自身の過去世,すなわち過去の輪廻の連鎖のいっさいを観たことだと言われている。(1)については,心理学的に言えば,世界に共通して存在する神話的世界を垣間見ることであり,いわゆる普遍的無意識の意識化に相当すると思われる。仏教が後に変容して,普遍的性格をもつ世界宗教になる因となるイメージとも考えてよい。そして(2)については,釈尊が前世で輪廻転生し,いろいろな姿で世の人のために行をしてきた物語(ジャータカ物語)である。腹の空いた虎に身を投げて与えるという有名な「捨身飼虎」の話も利他行の1つの例として語られている。釈尊が仏陀になる前の,この前世での利他行に目を向けたのが大乗仏教だと言われているので,(2)についても(1)と同様に仏教が世界宗教になる因となる重要なイメージであったと言ってもよいのではないかと思う。
第二夜の『衆生生死智』の智恵とは,天眼通とも言われ,人類(一切衆生)の未来ならびに自身の死後をすべて見透したイメージのことを言っている。仏陀の予測には誤りはないとすれば,釈尊の現世否定の自利仏教は,自身の死後,インドでは現世を肯定するヒンズー教に取って替わられ,他の国では新たに現世肯定の大乗仏教に変容して復活することが,すでに仏陀には分かっていたことになる。それゆえに,最初梵天から衆生への説法を頼まれた時,言葉では言い表せないし,伝えられたとしても衆生はそれに従わないだろうと言って断ったものと考えられる。つまり第一夜が神秘的追体験イメージだとすれば,第二夜は神秘的予知体験イメージと言える。
4.「悟り」の内容のイメージ
最後の第三夜に釈尊が覚ったとされる『漏尽智』とは,第一夜の神秘的追体験イメージと第二夜の神秘的予知体験イメージから直観した智恵のことで,これこそが仏陀の「悟り」の内実となるものと考えられる。その内容が,苦諦・集諦・滅諦・道諦の「四諦」,つまり4つの真理だと言われている。(1)苦諦とは人間の世の中はしょせん苦しみであること,(2)集諦とはその苦しみの原因を糺してみると,それは人間の執着するこころ,煩悩からきていること,(3)滅諦は苦しみの根源である煩悩を断ち切ること,(4)道諦は煩悩を断つためには修行しなければならないということである。
それならどんな修行をすればよいか,その実践方法の内容が,「八正道」と「中道」となる。「八正道」は正しく修行を行うための8つの心得,すなわち,正見,正思,正語,正業,正命,正精進,正念,正定のことで,とにかく正しい気持をもって修行しなさいということ。「中道」とは修行する際には,苦行でも楽行でもなく,要するに無理しない自然体でせよということである。なお,「縁起」という言葉は,本来「四諦」の中の苦・集・滅・道の相互因果関係を意味していたが,その後拡大解釈され,世間はすべて相互依存関係にあるという意味に使われ,従ってこの世には独立した実体はなく,無自性,空であるとの考え方の論拠となっている。
以上は,「三智」を仏陀の悟りの中心概念において,「四諦」あるいは「八正道」「中道」「縁起」などのキーワードを補助概念として整理し布置してみたが,ここで最も注目すべき点は,釈尊が「三智」の神秘的体験イメージを,全体として否定的に直観したということである。釈尊は,輪廻転生を重ねながら一所懸命に衆生のために尽くしてきた(利他行)自分の過去の姿を観て,しょせんは苦しいだけで無駄な生き方だったと総括してしまったのである。バラモンであった過去世での自利利他の世俗的生き方を全否定して,自身のこころに納得できる生き方(自利行)を選択したのである。「四諦」では,苦の原因である煩悩の中心は渇愛だとしている。渇愛つまり愛情を人や物への執着として否定的にとらえ,具体的には家族を捨てて出家をすすめ,出家者にはセックス,妻帯を禁じ,いかなる生産活動も俗事として禁じているのである。言ってみれば,こうした観点からすれば,仏陀の仏教(原始仏教)は,現世否定のペシミズムであり,アンチヒューマニズムの宗教と考えざるを得ないのである。
5.「悟り」の解釈の変容
現代の心理学では,一般的に言うと,人間の「こころ」には意識の部分と無意識の部分があり,おのおのがこころの主体としてお互いには補償関係にあるという。つまりこころには表または外の部分と,裏または内の部分があり,2つの相反する部分をうまく統合することを理想的な姿としている。西洋の生(レーベン )の哲学の系譜を辿ってみても,カントの意志と認識,ショーペンハウアーの意志と表象,ニーチェのディオニュソス世界とアポロン世界などの考え方は,お互いが等価値ではないが,片方を切り捨てずに,その統合を見据えた二元論になっている。印度思想でも,大宇宙(ブラフマン)と小宇宙(アートマン)の二元論を前提として,高い価値をもつブラフマンに統合することを,梵我一如と言って理想的な状態と考えている。
そこで,表のロゴスの原理に相当する「悟り」の『こころ』だけで,それと補償関係にある,裏のエロスまたは生(レーベン)の原理に相当する「煩悩」の『こころ』を抑圧し切り捨ててしまったら,かえって人間は心のバランスを失うし,社会は抑圧されたエネルギーを抱えて,不健全な状態になるのではないかと思うのである。もし仮に,仏陀の悟りの自利行を,すべての人間が実践したらどうなるだろうか。現実には出家することにより,残された家族が崩壊し,妻帯しないことにより,子孫がいなくなる。それより前に生産活動をしないため日常生活ができないことになる。
仏陀は,前述の予知体験から当然それを知っていたため,衆生への説法を躊躇したし,自利行による現世否定の自分の仏教が,この国でいつまでも続くとは思っていなかったはずである。その予想どおり,印度においては原始仏教は消滅し,それに替わって人間の欲望を肯定する現世宗教のヒンズー教が,バラモン教の流れとして復活した。また仏教自体は,大きく変わり,自利利他行(菩薩行)で現世を肯定する大乗仏教として日本,中国において,新たな普遍的世界宗教に変容するに至ったと考えられる。原始仏教が,『仏陀の悟り』をそのまま実践しようとしたのに対して,大乗仏教は,仏陀がしょせん無駄だったといっている『悟りに至るまでのプロセス』を実践しようとした追体験宗教と言えるかもしれない。つまり大乗仏教とは,釈尊が仏陀になる前,バラモンの身分で輪廻転生し,菩薩として行ってきた利他行を追体験しようとする宗教と言えるのである。
以上述べてきたことは,基本的には,かつて東方学院において恩師であった津田真一先生の仏教学を,ユング心理学の視点で私なりに整理した考え方である。これは近代仏教学の立場からは通説とは言えないし,従って立場の違いによる問題点がないとは言えないと思う。しかしながら今の時点で,私が仏教思想を納得できる唯一の切り口であるとのことを付言して,この拙文を終わることとする。