■開催日 2019年6月6日
■概要
『空飛ぶ円盤』スタディが一通り終了した後、今期の特別編として「三島由紀夫『美しい星』を読む」を行いました。
作家三島由紀夫は、晩年ユングに関心を持ち、ユングをドイツ語原文で読み込んで自分なりに研究をしていました。一方でUFOにも強い関心を持ち、様々なUFO文献を読む傍ら、円盤研究会の会員となってUFO観察会に参加したりもしました。
三島は円盤観測でUFOを見ることができなかった後に、「翻然悟るところがあり『空飛ぶ円盤』とは、一個の芸術上の観念にちがいないと信じるようになった」と述べます。この「一個の芸術上の観念」は、ユングの「元型的観念」と差し替えてもよいものだと思われます。
こうした三島の関心は、ユング『空飛ぶ円盤』出版から四年後の1962年、自身が宇宙人であったことに目覚めた一家を描いた小説『美しい星』に結実します。この『美しい星』を取り上げることで、ユングと三島由紀夫とを付き合わせ、両者が捉えようとしていた問題について考察をしていきました。
テキスト:三島由紀夫『美しい星』新潮文庫
この作品には、ユングから着想を得たと思われる箇所があるだけでなく、様々な点でユングと共通する問題意識が現れています。また、三島が自決へと進むことになる心理的要因をも伺うことができる作品でもあります。
主役となる家族の宇宙人への目覚めとその後の苦難は、宗教者における回心と受難の過程と同型のものであって、まさにユングの言う「自己の現れ」に関わる個性化過程を描いたものとして読み解くことができます。この小説内では、宇宙人として目覚めた家族たちがそれぞれに挫折し、人間としての絶望した果てにおいて「神 / 自己」としての円盤が現前します。そうした救済のあり方を現実の中で実現することができず、死による直接体験を求めたことが、三島の自決という行為に関連しているのではないか。これらユング心理学的視点からの見方をもとに、参加者間で様々に意見の交換がなされました。
● ユング『空飛ぶ円盤』(1962) para.651 (邦訳 p.56-58)
これは確かに矛盾であるが、経験に裏づけられてきた補償理論をどこまでも推し進めていくと、次のような逆説的な結論に辿りつく。すなわち、隠者の精神状態は、そう見えないにもかかわらず、補償を必要とする一種の欠乏状態なのである。たとえば生理的な飢餓が少なくとも比喩的に、すばらしいご馳走を見ただけで満たされるように、魂の飢えも聖なる空想像を見ることで癒される。しかし彼の魂が飢えているとはどうしても思えない。彼は「この世のものならざるパン panis supersubstalis」を得るために全生涯を懸けている。それだけが彼の飢えを癒す。彼は教会の信仰も教義も、恩寵へ道も心のままにできる。いったい何の不足に悩むというのだろう。しかし真実彼は、それだけでは生きていけないし、鎮めることのできない渇望は満たされていない。彼にまだ明らかに欠けているのは真の体験、それがどのようなものであれ、精神的現実の直接体験なのである。これが彼の目の前に、より具象的に現れるか、より象徴的に現れるかは、差しあたりさほど重要なことではない。彼は手でさわれるような、この世の品々を求めているのではもちろんない。崇高にして手で触れることのできない、精神的な幻視を待ち望んでいるのである。この体験こそが古来、変わることなく、精神の渇きや虚しさに対する何ものにも優る補償であった。実際、彼の前に、彼の創ったものではない聖なる像が現れる。それは満たされない衝動の生む幻視同様、まさしく「現実のwirklich」ものであり、現実に効果を及ぼす(wirken)。
● 三島由紀夫 「『空飛ぶ円盤』の観測に失敗して――私の本『美しい星』」 三島由紀夫全集より
(読売新聞 1964年1月19日号)
この小説を書く前、数年間、私は「空飛ぶ円盤」に熱中していた。北村小松氏と二人で、自宅の屋上で、夏の夜中、円盤観測を試みたことも一再にとどまらない。しかし、どんなに努力しても、円盤は現われない。少なくとも私の目には現われない。そこで私は、翻然悟るところがあり「空飛ぶ円盤」とは、一個の芸術上の観念にちがいないと信じるようになったのである。
そう信じたときは、この主題は小説化されるべきものとして、私の目前にあった。小説の中で円盤を出現させるほかはなく、しかもそれは小説の末尾に、人間の絶望の果ての果てにあらわれなければならなかった。
だから、これは、宇宙人と自分を信じた人間の物語であって、人間の形をした宇宙人の物語ではないのである。そのために、主人公を、夢想と無為にふさわしい、地方の財産家の文化人に仕立てる必要があり、また一方、ここに登場する「宇宙人」たちは、完全に超自然的能力をはぎとられ、世俗の圧力にアップアップしていなければならなかった。
全編の五分の一を占める論争の部分は、ずいぶん読者を閉口させたようであるが、ただの人間にすぎぬものが、人間の手にあまる問題を扱うことの、一種のトラジ・コミックの味を私はねらった。当然それは、むりに背伸びをした論争であるが、それを直ちに非力な作者の背伸びと解されても、仕方のないことであった。
● 三島由紀夫『美しい星』(1962) あらすじ(Wikipediaより)
夜半過ぎ、埼玉県飯能市の旧家・大杉家の家族4人が町外れの羅漢山に出かける。彼らはいずれも地球の人間ではなく、父・重一郎は火星、母・伊余子は木星、息子・一雄は水星、娘・暁子は金星から飛来した宇宙人だと信じていた。各人とも以前、空飛ぶ円盤を見て自らの素性に目覚めていたのである。その日、円盤が来るとの通信を父が受けたのだが、円盤は出現しなかった。しかし一家は自らが宇宙人であることを自負しながら、その素性を世間に隠し、水爆の開発によって現実のものとなった世界滅亡の危機、核兵器の恐怖から人類を救うために邁進し始める。
重一郎は、破滅へと滑り落ちていく世界の有様を予見するとともに、その責任を自分1人が負わなければならないと考えていた。「誰かが苦しまなければならぬ。誰か1人でも、この砕けおちた世界の硝子のかけらの上を、血を流して跣足(はだし)で歩いてみせなければならぬ」と思いつめていた重一郎は、「宇宙友朋(UFO)会」を作り、各地で「世界平和達成講演会」を開催して回る活動を始めた。娘・暁子もソ連のフルシチョフ共産党第一書記に核実験を止めるよう嘆願する手紙を書いたりした。
ある日、暁子は文通で知り合った石川県金沢に住む、自分と同じ金星人の青年・竹宮に会いに行く。そして、その時内灘の海岸で一緒に空飛ぶ円盤を見た神秘体験によって、妊娠したことをのちに知るが、暁子は竹宮を地上の人間だと認めず、自分は処女懐胎したと主張し、生む決意をするのであった。
一方、こうした大杉家に対し、宮城県仙台には羽黒真澄助教授をはじめ、羽黒の元教え子で銀行員の栗田、大学近くの床屋の曽根の3人の、はくちょう座61番星あたりの未知の惑星からやって来た男たちがいた。彼らはひたすらこの地球の人類滅亡を願い、「宇宙友朋(UFO)会」の重一郎を敵視していた。彼らもまた、円盤を見てから自分たちが宇宙人であると自覚し、水爆戦争による「人類全体の安楽死」に使命をかけて団結していた
。
衆議院議員・黒木克己の人望に惹かれ、彼の私設秘書となっていた長男の一雄は、黒木と繋がりのある羽黒助教授ら仙台の3人を出迎え、東京案内をする。そして黒木も交えた接待の席で、父の重一郎のことが話題にのぼり、一雄は父が火星から来た宇宙人であることをはっきり言ってしまう。
羽黒助教授ら仙台の3人が大杉家を訪問して来た。彼らと重一郎は、人間の宿命的な欠陥である3つの関心(ゾルゲ)「事物への関心」「人間に対する関心」「神への関心」と、その不完全さや行動などについて激しい論議を戦わせる。羽黒が、人間は不完全だから滅ぼしてしまうべきだと主張するのに対し、重一郎は、人間は不完全であり、人間の美点である「気まぐれ」があるから希望を捨てないと主張する。
そして、人間が救われるためには、人間それぞれが抱いている虚無や絶望が「生きていること自体の絶望」を内に包み、「人間が内部の空虚の連帯によって充実するとき、すべての政治が無意味になり、反政治的な統一が可能になり、核のボタンを押さなくなる」と重一郎は主張し、なぜなら、その空虚の連帯は、「母なる虚無の宇宙の雛型」であるからと力説する。しかし羽黒らも負けずに激しく反論し、重一郎に暴言を吐きながら異論をまくし立てた。
激しい議論の後、重一郎は倒れ入院し、手遅れの胃がんであることが判明した。そして、そのことを知ってしまった重一郎は苦悩の末、宇宙からの声を聞く。その通信に従い、重一郎は家族に出発の準備を指示し、病院の消灯時間に抜け出た。一雄が、「われわれが行ってしまったら、あとに残る人間たちはどうなるんでしょう」と問うと、重一郎は渋谷界隈の雑踏を眺めながら、「何とかやっていくさ、人間は」とつぶやく。やがて、一家は東生田の裏手の丘へ向かい、あざやかな橙色にかがやく銀灰色の円盤がやって来ているのを見出した。
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【ユングスタディ補講】 〜 ユング『空飛ぶ円盤』スタディ特別編 〜
2019年6月6日 ユングスタディのご案内
〜 ユング『空飛ぶ円盤』スタディ特別編 〜
三島由紀夫『美しい星』を読む
ユング『空飛ぶ円盤』スタディ最終回の5月9日では、「まとめ」「心理学以外の観点から見たUFO」「エピローグ」を読み進めました。
東西冷戦下の核戦争への不安の中、分裂した精神状況に対して、人間の魂の底にある調停への欲求が、全体性のシンボルとしてUFO現象の中に現れてきている。それはかつてのような「神」の姿ではなく、信仰を失った現代人にも受け入れられるような、高度に発達した「宇宙の存在」である。こうしたUFO現象を、UFO信奉者のようにそのまま素朴に受け入れることも、合理主義者のようにこれを戯れとして取り扱うことも、ともにユングは問題があるとします。それを「象徴として受け取る」態度があってこそ、はじめて自己の発するメッセージを正確に受け取り、統合の個性化過程がなされうるとユングは強調します。またユングは、晩年に関心を持っていた「数」の元型や共時性の問題についても語り、心と物質とを統一的に理解できるような世界観の枠組みを示唆していきます。
『空飛ぶ円盤』スタディはこれで一通り終了しましたが、次回6月のスタディでは、今期の特別編として「三島由紀夫『美しい星』を読む」を行いたいと思います。
作家三島由紀夫は、晩年ユングに関心を持ち、ユングをドイツ語原文で読み込んで自分なりに研究をしていました。一方でUFOにも強い関心を持ち、様々なUFO文献を読む傍ら、円盤研究会の会員となってUFO観察会に参加したりもしました。この三島の関心は、ユング『空飛ぶ円盤』出版から四年後の1962年、自身が宇宙人であったことに目覚めた一家を描いた小説『美しい星』に結実します。この作品には、ユングの考察と重なる主題が表れているのみならず、三島が自決へと進むことになる心理的要因をも伺うことができます。この『美しい星』を取り上げることで、ユングと三島由紀夫とを付き合わせ、両者が捉えようとしていた問題について考察をしていきたいと思います。
進行役:白田信重、山口正男、岩田明子(ユング心理学研究会)
特別回 6月6日(木)19:00 〜 21:00 (開場18:45)
■ 会場: nakano f(ナカノエフ) 中野駅北口徒歩5分、地図参照
※ 会場が前回から変更になっていますので、ご注意ください。
■ 会費:1,500円(会場費1,000円、資料代500円)
■ 主催:ユング心理学研究会 http://jung2012.jimdo.com/
■ 問い合わせ:研究会事務局 [email protected]
※ 資料準備の都合等から、事前の参加申し込みが必要です。
※ セミナー時に撮影した写真を当研究会のホームページやFacebook等のソーシャルメディアに公開する場合があります。あらかじめご了承ください。