児玉教育研究所 大橋 幹夫
人間のこころの探究を無意識の領域にまで広げたユング(1875~1961)は,東洋思想の内面性,特に仏教思想に強い関心をもち,私たちは多くのユングの著書からもそのことを感じ取ることができます。しかし残念なことに,実際には仏教のもつ多様性,ならびに両者の基本的なコンテクストの相違については,当時ユング自身あまり理解していたとは言えないようですし,その後のユンギアンもほとんどこの基本的問題には触れてきませんでした。他方仏教サイドのほうはと言えば,伝統的に西洋心理学の無意識に対して無関心であったこともあって,結果として両者の間で根本的なカテゴリーの相違について,客観的検証がなされていないのが現状です。
一方,1960年代から70年代にかけて,一部ユング心理学の流れを受け,東洋思想を取り入れたカウンターカルチャー運動,いわゆるニューエイジ,ニューサイエンス運動がアメリカ西海岸を中心に広まりました。この運動自体は現在ではほとんど姿を消しましたが,この流れの延長線に位置するのが,東西思想の統合を唱えるウィルバー(1949~)に代表される,トランスパーソナル心理学です。しかしこれもユングの場合と同様と言うか,さらに両者のコンテクストの違いを不明確にしたまま,安易にいいところ取りをした考え方のように思われます。
そうした背景を踏まえた上で,よくユングと仏教の類似性の例として一般的に挙げられるのが,「ユングのマンダラと密教の曼荼羅」および「ユング心理学と唯識思想」です。本文では,これらの例を通して両者の本質的な相違点を,東西比較思想の視点に立って比較検証してみたいと思います。さらに両者のコンテクストの底流にある「自我と無我,空の思想と実在論」「仏教思想史の釈迦仏教と大乗仏教」の問題も併せて考えてみたいと思います。
1.ユングのマンダラと密教の曼荼羅
(1)ユングのマンダラ
苦難のナチ時代,ユングは「その時の自分の内的状態にふさわしいと思われる小さな円と四角の図形」を描いていましたが,当時彼が知っていたチベット密教の瞑想道具の曼荼羅に似ていたことからこれをマンダラと名づけました。最初は図形の意味が分かりませんでしたが,そのうち「自己の中心」「人格の全体」を表していることに気がついたということです。
こうしたユングのマンダラの特徴は,第1に自分の心の投影ですので,密教の曼荼羅と異なり決められた形式がないということです。第2にはマンダラの構成としては,周囲の円または四角形,中身の図形,ならびに核となる中心の3つからなっています。そしてマンダラ全体は,自我(意識)または自己を表しているということになります。
したがって周囲の円または四角形は,自我(意識)を外部(無意識)から守る防御柵に当たり,通常ははっきりした境として,城壁あるいは堀などとして図示されています。中身の図形は,安定した全体性を象徴する円,四,四の倍数の角形や放射線で仕切られており,上下,左右,白黒,明暗,昼夜,太陽と月,善悪,男女などを象徴する対立物が調和して配置されています。中心は,対立物の統合の象徴として,星,宝物など最も貴重なものが描かれ,自我の中心,価値観の中心となっています。
マンダラの外側は無意識の大海を表し,防御柵に守られた内側は自我意識となっており,全体として個体または個性の秩序の確立を象徴しています。外部(無意識)と神秘的融即して自我を喪失することのないよう,
separated,but undivided personality(individuality)を育てること,これがユング心理学の目標である「個性化」概念であり,それを集中的に表現したのがマンダラと言えるのではないかと思います。
(2)真言密教の曼荼羅
7世紀インドの密教経典,大日経,金剛頂経から生まれ,大日如来を中心に四仏,多くの菩薩,明王,天部などの眷属をまとめて描いた図形が,胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の両界曼荼羅です。その中の胎蔵曼荼羅を取り上げてみます。そもそも曼荼羅という言葉は,サンスクリット語のmandalaの漢訳語です。語源から言うと「本質を得る」で,一般には円とか円壇を意味しています。曼荼羅には時代場所によってさまざまなものがありますが,この胎蔵曼荼羅は中期密教(純密)のもので,ほかに初期密教(雑密)のもの,後期密教にはシャクティ(女神信仰)が入った官能的なチベット密教の曼荼羅などもあります。
この曼荼羅には,大日如来を中心とした仏の世界であるとともに,仏性をもつ人間の心の世界でもあるとの考えから,手に仏の印を結び,口に仏の真言を誦し,心を三昧の境地に置いて,曼荼羅(仏)の世界と一体になる修行,つまり三密加持の密儀によって,空海のいう「秘密荘厳住心」(十住心論の10番目のレベル)の境地に即身成仏する法具としての役割があります。
密教の曼荼羅は,ユングのマンダラが自我または自己の小宇宙であるのに対し,大日如来を中心とした大宇宙です。ユングのマンダラが自我の確立にあるのに対して,密教の曼荼羅は無我になって大宇宙あるいは仏の世界に,自身を投入または神秘的融即することにあります。したがって両者の図形は類似していても,内容と役割はまったく正反対です。なお,仏教における密教,無我と自我については,3章でまとめて取り上げます。
2.ユング心理学と唯識思想の心のしくみ
(1)ユング心理学の心のしくみ
人間のこころは,自我意識と無意識からなり,無意識には,幼児体験とか忘れた過去の体験などの個人的無意識と,遺伝的本能的なものも含めた人類の普遍的無意識または集合的無意識があります。両者の関係は,大海が集合的無意識だとすると,浮き沈みする小島が自我意識というイメージになります。この場合,小島の周囲の沿海が個人的無意識ということになりますね。
ユング心理学の核心は,あくまで価値体系の主体である自我の確立です。これは自我(光)が,影の個人的無意識とうまく補償関係を保ち,闇の集合的無意識の奔流から自らを守りながら必要なものだけ取り入れ意識化(個性化)することにより,自我を完成すること,つまり自己になることが目標になります。基本的には,マンダラと曼荼羅におけると同様,自我のユング心理学は無我の仏教とは正反対の立場にあるといえます。
(2)唯識思想の心のしくみ
唯識とは「すべては心が生み出した表象にすぎない」という意味で,このことをヨーガ修行によって実証しようとするのが,大乗仏教の唯識・瑜伽行派の思想です。仏教思想史におけるポジショニングについてはあとで触れるとして,心のしくみに関するユング心理学との用語の対比は次のとおりです。
唯識思想の表層意識は六識(眼,耳,鼻,舌,身,意)あるいは視覚,聴覚,臭覚,味覚,触覚,感覚の六感覚からなり,これはユング心理学の自我意識に対応します。唯識思想における潜在意識はユング心理学の無意識で,その内訳であるマナ識は個人的無意識,アーラヤ識は集合的無意識に対応します。さらに言えば,唯識の梵行はユングの個性化で,唯識の円成実性の境地(悟り)はユングの自己に当たると言えます。
しかし,前述のように内容のほうは大違いです。ユング心理学では,自我意識が実在の中心であるのに対して,唯識では意識は仮象(したがって当然無我となる)であり,すべては仮の唯一の実在であるアーラヤ識から生起すると考えますが,円成実性のレベルになると仮の実在であるアーラヤ識も消えてしまうという,空の思想(非実在論)になってしまいます。心のしくみの名前は対応していても,中身は,自我と無我,実在論と空の思想という基本的にクリティカルな関係にあるので,無理に両者を結びつけようとするとカテゴリーエラーに陥る危険性を常にはらんでいます。しかし現実には,こうした前提を無視した統合の議論が多くみられます。
3.自我と無我,空の思想と実在論
仏教の自我と無我について,ここでまとめて考えてみましょう。西洋の自我に対し,仏教の基本的な考え方は無我の立場であるといちおう言えると思います。次に問題は,日本の仏教学が「有」すなわち実在論に立っているか,「空」すなわち非実在論の世界観に立っているかということです。大乗仏教が成立する前の部派仏教の時代では,説一切有部の名のとおり法(事物)は実在するという立場でした。ところが3世紀になって大乗仏教中観派の竜樹が書いた『中論』の中の,いわゆる「空」の思想が,従来の実在論を大きく転換させる契機になったと言われています。それでは,こうした「空」の思想が,当時どう理解され,その後どのように伝えられていったかを考えてみたいと思います。まずこれに関連する中論の中の3つのキーワードを取り上げてみます。
それは,空(シューニア),無自性(ナスバータ),縁起(プラティティアサムツパーダ)で,4世紀に鳩魔羅什が,括弧内のサンスクリット語を現在の漢字に翻訳し,それが日本で通説の「空」論,あるいはダルマ(諸法=事物)非実在論の根拠になっています。それでは,これらのサンスクリット語の漢訳ははたして正しい訳であったかということが問題になります。これについて日本の仏教学界には,シューニアを空としたのは羅什の世紀の誤訳であったとする少数学説があります。当時,竜樹はサンスクリット語のシューニアを仏教の最高のレベル状態と考え,中国で主流であったタオ思想の最高のステージである玄あるいは無に準えて,空と漢訳したという見解です。
確かにシューニアには,空のほかに諸法実相つまり「ありのままである」との意味もあるということから,もし後者のラインでいけば,無自性は「すべてのものには実在がない」ではなく「ダルマの主観的な独自性を否定した」だけと言えるし,また縁起は「すべては相互的依存関係であって実在がない」ではなく,本来の意味の「眼に見える総合的関係」と考えるのが適切と言えるというものです。特に日本の仏教学会で空の思想が多数説になったのは,明治以降の圧倒的な西洋の実在論に対抗するために,独自の世界観を求めたことにあったからだとも言われています。
4.仏教思想史における釈迦仏教と大乗仏教<仏教はひとつではない>
仏教というと,インドを連想しますが,現実にはインドの仏教徒は1%程度で,大多数がヒンズー教徒,次にイスラム教徒となっています。紀元前15世紀のアーリア民族の侵入から現在まで3500年のインド思想史から眺めてみても,その仏教の盛んだったのは紀元前3,4世紀からせいぜい500年くらいの期間で,それもそれまでのバラモン教と共存していたと考えられます。つまりインド思想史の大勢は,バラモン教とヒンズー教を通して業・輪廻・解脱・梵我一如のラインにあるアートマン(我)思想,現世肯定の実在論(有の思想)であるといってもよいと思います。
こうした流れの中で誕生した釈尊の悟り(四諦=苦集滅道)とは,前世を含むバラモン教徒であったそれまでの自身の生き方(自利利他の現世主義)を,しょせん無駄であったと言って全面否定して,梵行により煩悩(渇愛)を断ち,出家主義によって自利を求めたものと思います。つまりは釈迦仏教(原始仏教)は,本質的に現世を否定した宗教と言えると思います。現世否定の当然の流れとして,無我を標榜し,その延長線上には空の思想への土壌があったと考えても不思議ではと思います。
悟りの内容は,言葉では言えないし,言えたとしても煩悩が好きな衆生は受け入れないと言って,当初梵天勧請を断った釈尊の予想どおり,本国インドの釈迦仏教は現世肯定のヒンズー教に取って替わられました。しかし,国外では仏教自身が自利利他の現世主義に大変容することによって,大乗仏教,密教として中国,日本,チベットで受け入れられたと考えられます。この大転換と釈尊との関係は,一言で言えば,原始仏教が釈尊の悟りの四諦を即実践しようとするのに対して,大乗仏教では,釈尊自身が前世を含めて仏陀になる前までバラモン教徒としてやってきた利他行(菩薩行)のプロセスを追体験しようとする宗教と言えるかと思います。
仏教思想史をこうした視点でみると,大乗仏教の中でも,竜樹の空・中観派,その流れの無着・世親の唯識・瑜伽派の,生きている間には到底達成できない三劫成仏の菩薩行に対し,誰でも仏性(本覚思想)ありとする如来蔵派(以上を大乗仏教三派と言います。),現世利益的色彩の強い即身成仏の密教への流れを考えれば,日本の近代仏教学の多くの学者が,無我論はともかくとしても,いまだに非実在論あるいは空の思想に固執しているのは,いったいどうしたものでしょう。しかしいずれ近い将来には日本仏教学も,これらの問題を乗り越える時期が来るでしょうが,その時こそはじめて西洋の宗教,心理学とカテゴリーを共にした真の研究がスタートのではないかと期待するところです。